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2022 7/30 『豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切』

地図の赤丸部分、西武池袋線の踏切がV型になっている。
このような踏切は珍しいのではないだろうか。
踏切の傍らに踏切地蔵が祀られている。

この踏切の近くにかつて山手線と貨物線を渡る長崎道踏切(古道 長崎道)があったが廃止され、EV付きの跨線橋が架けられ、山手線に残っている踏切はあと(約)ひとつとなり、その第二中里踏切も廃止されることが決まったという。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2022 7/27 『文京区 小日向一丁目東遺跡(複合遺跡 切支丹御用屋敷跡等)』

地図の赤丸部分に小日向一丁目東遺跡がある。
※案内板の拡大写真はこちら

案内板から引用ーーーーーーーーーー
文京区 小日向一丁目東遺跡 小日向一丁目23番地内

小日向一丁目東遺跡の発掘調査は、集合住宅建設工事に伴い平成二六(2014)年に実施されました。写真1は遺跡全景を写したものですが、様々な時代の遺構・遺物が確認され、複合遺跡であることが判明しました。
縄文時代の遺構は縄文時代早期の屋外炉が五基、弥生時代後期から古墳時代前期(五領式期)の遺構は竪穴建物跡五軒(写真2・3)、奈良・平安時代の遺構は竪穴建物跡三軒と土杭一基(写真4・5)、そして中世の陶器の破片が出土しました。江戸時代、寛永江戸絵図<寛永十九・二十(1642・1643)年>や『御府内往還其外沿革図書』に拠れば、寛永十八(1641)年、調査地周辺は、井上筑後守政重が下屋敷(大名屋敷)として拝領します。江戸時代の遺構の内、十七世紀初頭の遺構として土杭が確認されていますが、筑後守拝領以前の遺構と推定されます。寛永十七(1640)年、筑後守は宗門改役となり、正保三(1646)年、当該地切支丹御用屋敷となり、現在は東京都指定旧跡です。第4図は創設当初の敷地の様相を描いたもので、その一部を拡大した第3図では住人の氏名が窺えます。元禄十四(1701)年、屋敷は縮小され、(第5図)、さらに享保十一(1726)年に、敷地は縮小し、これらの三段階の切支丹御用屋敷の変遷を経て寛政四_(1792)年に廃止されます。十七世紀前葉から十八世紀中葉までの遺構は、土杭が多く、遺構の種類に偏りがみられ、遺構数から、周辺地域に比べて緩やかな土地利用の実態がみてとれます。廃止後は、酒井、鈴木家等の幕臣の屋敷に分割されることが分かります。(第2図)、第2・5図から、切支丹御用屋敷に北接する大草家の屋敷は切支丹御用屋敷廃止後もそのままであったことが分かり、また、第5図の大草家の屋敷の左側には墓が描かれており、検出された三基の墓(写真6)とどのような関係になるのかは今後の調査に期待したいと思います。また、十八世紀後葉から十九世紀中葉の遺構と遺物が最も多く、活発な土地利用の様相が窺えますが、幕臣の屋敷の時期にあたります。
このように、小日向一丁目東遺跡の発掘調査の結果、切支丹御用屋敷に関わる遺構・遺物が確認されるとともに、当該地は縄文時代から現在に至るまで人々が連綿と居住しており、住みやすい土地柄であることが明らかになりました。
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地図の赤丸部分に大草家、酒井家、鈴木家が見られる。

上記、「・・・第5図の大草家の屋敷の左側には墓が描かれており、検出された三基の墓(写真6)とどのような関係になるのかは今後の調査に期待したいと思います。・・・ 」より、発掘調査当時に三基の墓が確認されたが断定は出来ずにいた。その後、シドッティの人骨と判断され、他の2つの人骨は長助・はる夫妻と推定されている。

複合遺跡であるこの小日向一丁目東遺跡の南側には平川(神田川)が流れ、かつては大きな白鳥池も広がり、汽水域だった太古の昔から人々が住みやすい土地だったのだろう。

お隣お向かいという関係の鈴木家、酒井家、杉浦家だが、この小日向で育った仲間に鈴木と酒井と杉浦がいて彼らとはよくつるんで遊んでいたからなんだか笑って驚いてしまった。幕臣の子孫だったのか今度会った時に聞いてみようと思う。

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2022 7/21 『<茗荷谷の猫> 読書と酒と飯、そしてランニング』

<茗荷谷の猫>...最近、文庫本や単行本を読んでおらず、インスタでみかけた読書備忘録を読んだら面白そうだったので手にした。
茗荷谷は身近な地域で割と地域のことについて明るいのと、物語の舞台となるほとんどの地域を知っていたのでより面白かった。その時代々の人と出来事と場所がリンクして話が進んでいくお話。オススメです。
と、読めていない本が本棚にたくさんある。。

さて、あまり走ることも出来ていないが、よく食べてはいる...僅か一部だけど。
下の写真2枚、朝4時くらいの早朝ご飯だと全部作るのも面倒なので、晩飯を少し残しておいて、作るのはチーズをインした卵焼きくらいや味噌汁だけど、超具沢山の味噌汁(きのこ数種類、豆腐、肉団子など)でないと満たされない。納豆は晩飯で食べるので、あと足りなかったら、ソーセージとつけるくらいだろうか。
炊き込みご飯も具たくさんで。多めのひじきやきのこ類、枝豆・たけのこ・にんじん、豚や鶏肉、合いそうな野菜いろいろ。
どうだろう...バランスは。悪くはないような氣がしないでもないが。

大雨や猛暑やコロナウイルス再拡大など、大変な夏ですね。。
皆様も十分にご注意ください。

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■巣鴨遺跡 巣鴨の町屋跡 既調査地点か
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