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photo2013 9/30
『人の倍やって人並み』

急に寒くって体が適応しきれていない...

うんざりしたク◯暑い夏もピタッと終わり、だいぶ走りやすくなってきた。
夜22:30頃走っているとT一枚だと寒いくらいの日もあり。
この一ヶ月あんまし酒も呑まず、調子いい日々が続いているのも+だろう、脚がよく動くし心肺もアップアップしにくい。

秋晴れの午後、ペダル踏むこと30分で3ヶ月ぶりの皇居へ。

白山通りの皇居の交差点は平川門、
その平川門は不浄門といわれ、城内で罪を犯した者や死人はこの門から外へ、大奥女中の通用門として機能していたという。勝手口のような存在でしょうか。
なので、松の廊下で吉良上野介を斬りつけた浅野内匠頭もこの門から出たという。

自転車の回転運動からランニングになるから、使う筋肉が違うんだろうからなんだかしばらくはふわふわした感覚で走ることになる。
一周目は05'30/km前後のいつものペースで...
途中に寄ったレストルーム、ポリスもルーム内を巡回中、
無事に帰れたのだろうかと心配するくらいの大失敗した人がいたようでえらいことになっててどんよりいや〜な気分になりつつも...
二周目からはペースをあげてみて、あんまし辛くないのでけっこう頑張って進んでみたらよく動くのでどんどんペースあげて...
こんなにも脚動かして走れているのは高校生以来だろうかと思い出しつつ、時計みて時間がなくなってきたので10kmで終わり。
ぜんぜんあってないけど、 10km 0:51'38" 11.6 km/h (05'09 /km)、1kmあたり10秒台を切れてベストタイムだと。5分10秒台切れるのだろうかと思っていたところクリアなので、次は35kmのLSD(ゆっくりとながい距離を走ること)をやってみよう。35kmすごく辛くなければ次はフルマラソンかな。

時間がなくなってきたので、ストレッチをして平川門をあとにする。
神保町交差点、重宝してたスーパーが閉店...
これから東京を半縦断なので体力温存で...
ひたすらペダル踏んで...
どでかいタッパーに詰まったおふくろの味の煮物その他色々ピックアップして、
ひたすらにまた踏んでおふくろの味栗ごはんその他色々ピックアップして、PORTERのでかいショルダーバッグぱんぱん。
家出てから動きっぱなしでしんどくなって帰宅19時。
Bike 34.770 km 1時間57分01秒 17.8 km/h (03'21 /km)

赤いキャップのオリジナルのマヨネーズでつくられたすっぱくて味の濃いハムキャベツサラダと栗ごはんはとても合う母の味。
毎日たくさん食べて3−4日はかかる煮物は重いほどの母の味。

photo2013 9/27
『あなたの知らない世界』

自分のまわりにベジタリアンがいないので、
この番組でベジタリアンのことが少しわかった。

すべらない話で知った小薮さん、彼は魚は食べるペスコ・ベジタリアンという類で、生まれた時から豚・牛肉は食べない生粋のネイティブベジタリアン。
真木蔵人さんは16歳の頃に豚・牛肉はやめて、チキンは食べるセミベジタリアンにしたという、後天的な類。

さまざまな考え環境によって肉類をやめてベジタリアンになった人が多いのかもしれませんね。

真木さんは母親と離れて暮らしていた十代の頃、
栄養管理などしっかりするようになって、食べるものを選ぶようになって、サプリメントでも他のビタミンを補っていると。
それには大きな理由もあって、自分に占めるサーフィンの割合がとても大きかったようで、尊敬するサーファーもそういう食生活だったとか。
なんでチキンは食べるかというと、おもしろいなと思ったけど、
海で生きる魚はもちろん食べるけど、鳥って海でも生活してるじゃんと。
海鳥のことですね、確かに海のもの魚貝類食べて生きている。
思想というか、幹にあるのが海で、そこから派生したものはチョイスして口にするということ。
山に住んでいる猿は山のものを食べているし、海のそばに住んでいる猿は魚や貝類を食べてるでしょ、住む環境によって違うだけ、自分は海のほうだからと。
豚や牛肉を食べると体の具合が悪くなると、真木さんも小薮さんも。

小薮さんは祖父からの影響で小薮家自体が肉を一切食べないという、思想、洗脳の世界で育ってきてもともと肉を食べないから、肉を食べたいとも思わないし受け付けないと。一般的な食生活の人となにが違うのか分らないと、いたって普通で何も変わらないと、それはそうだなと思った。
後天的ベジタリアンの人はさまざまな理由で肉を食べなくなって、ビフォアアフターで比較ができるけど、彼は比較できないわからないと。
後天的ベジタリアンの人は、例えばヨーガから入って、食にも拘るようになったりして比較できて思考もがらっと変わったり、
ベジタリアンで野菜のみの生活で生きてきたわけではなく、思想はあとから形成されてきたのだから、そう色々な変化などが分るだろうけどもと、小薮さんいわく。
肉を食べなくなってベジタリアンになってそういう思想になったのであって、自分はそうではないと。
そういう彼は、周りの人に迷惑をかけていると言う。
生活がしにくいから、彼の子供にはそういう食生活にはしていないと。

って、
ヨーガの彼女達の変化が面白かった。
五感が鋭くなって、敏感になったと。
あっちのそういうことが好きになったと。

...それほど変わるものなのでしょうか。
で、食に気を遣う男は=人にも気をつかえる、という意見もありで。
ベジタリアンの男性は体はあまり臭わないと。
食も含めて気をつかう人はアッパーなのではというふうにも聞こえた。
生活はシンプルになって、食も場所も着るものもシンプルになったと。
肉を食べる男には嫌悪感をもちながらも、好きになった人が肉を食べる人でもそれはその人の人格を好きになったことだからと。

後天的な人には死肉がだめ、フレッシュではない食べ物がだめだというのが根本にあるのだろうかと、そういうふうに思った。

小説を読んでいてもそう、
人を殺めてしまった時、魚を含めて肉がダメになってしまって、
定食を食べていてもどしてしまう...というシーン。
死=肉というふうに結びついてしまうのだろうか。

自分は牛肉の牛牛した味と匂いが苦手なので、ステーキのたぐいはほぼ食べないけども、薄切り肉のすき焼きや牛丼なんかは好きで食べる。
チャーシューや角煮なんかも好き、焼き鳥も大好きだけども、
肉肉した肉肉しい感じはやはりあまり得意ではないので、
クリスマスのぶっといモモ肉なんかは食べたいとはあまり思わない。
かといって野菜が大好きなわけでもないけども、なるべく野菜を多く食べるように
している。
身体は口に入れる食べ物で作られるから、取捨選択をして自分にとってイイものをそれぞれ取り入れることが大切ですね。
肉よりも野菜の方が値段が高いので、ある程度余裕のある人の方が野菜中心の生活にしやすいのは彼らが言っているとおりだろう。

歳を重ねていけば、ジャンクも食べられなくなるのだろうし....
と、巣鴨のマックにはバーガー類を美味しそうにたべる高齢者が多いけども。
ジャンクも食べるし、牛・豚のいわゆり肉中心生活ではないけども、
補うように野菜などの食べ物もおおく取りたいところ。

ビタミン12、鉄・亜鉛、タンパク質が少ないと、
疲れやすく体がだるくなり、冷え性貧血になりやすく、肌荒れ・記憶力の低下、タンパク質の不足によりエネルギー不足となりやすいという栄養学的意見も。
植物性よりも動物性タンパク質の方が効率よく体に吸収されるという。
逆の意見や考えもあるので一概にはいえないところでもあるらしいが...

バランスよく食べられればと思う。
野菜の食べすぎはよくないとはあまり聞かないけども、
肉の食べすぎはよくないとよく聞く。
“肉類を食べ過ぎると、コレステロールや飽和脂肪酸の摂取量が増え、脂質異常症や動脈硬化症の原因になります。” source
ま、われらの先住民は川っぺりや海っぺりに住んで、貝類や小魚を食べ、木の実や野菜中心の食生活だったのだろうから、戦前の日本人もそうだったようだから。

真木さんが最後に
「ベジタリアンの男の精◯は味がちがうんだってよ」って言ってた。
彼の彼女らがそう言ってたのでしょうね。

肉肉しく生々しくも爽やかな内容でとてもおもしろかった。

youtube

ひさしぶりに豚の角煮つくってみようかな。

photo2013 9/26
『稲村』

朝4時、稲村クラシックが24年ぶりに開催されると知る。

サーフィンをしているわけでもなく、
湘南地域に由来があるわけでもなけど、
ひっかかるのは十代の頃に公開された映画 稲村ジェーンの影響で。

海っぺりに住んでいない人にとっては、
海は夏休みに遊びに行くスゴく楽しいハレの賑やかな場で憧れも抱く人も多い。
三浦や江ノ島、鎌倉由比ガ浜、逗子、葉山と夏のたびにあちこち電車で行ったし、それが車へと変わっていった。

えらい人気だった稲村ジェーン、
レンタルで観たけど内容を憶えていない...
切り通し?のようなローカルなトコをオート三輪でトコトコ走って、
龍だかおばけ出てきて、最後に桑田さんがでてきて、みたいな内容だったような??
妙に色っぽい売れっ子女優の清水美沙とローカルの雰囲気抜群、
曲はとってもよかったなと憶えている。

今は昼前、
大会はどうだったのかな、波はよかったのかな。

 

大船方面、腰越中学から鎌倉高校までの急な峠の坂道は日坂という...
鎌倉攻めの新田義貞軍がこの坂を越えたことからとも伝えられるが定かではない。
しかし重要な道であったことは確かで、峠の頂上鎌倉高校正門前に馬供養塔や馬頭観音塔が祀られているとのこと。

目の前に広がる海、
鎌倉幕府攻め、稲村ケ崎突破はこの峠を越えてか?

ぶつぶつと現存する鎌倉街道を巡ってみるのもいいもです。
知らずに歩いていたりしますけど。

photo2013 9/25
『色の訴求力』

コーポレートカラー
JALは白と赤、
ツタヤは青と黄色、
フェラーリは赤、
マクドナルドは赤と黄色、MUJIはエンジか、
ハーレだったら黒とオレンジか、
HONDAだったら個人的にはロスマンズカラーの青白赤の組み合せのイメージが、
キリがないけども。

色によって、これはあれだと分ることはとても大切。

色別が重要なインフラは電車。
山手線だったらグリーン、中央線だったらオレンジ、京浜東北線はブルー
総武線だったら黄色。
新宿線はグリーン、三田線は青、丸ノ内線は赤に銀座線はオレンジ。

鉄道模型メーカーのカツミから国鉄カラーの色エンピツが発売。
お値段大人価格の3780円。

あ、常磐線は青緑だったと気づく...二十数年乗ってないような。
モーター壊れるんじゃないかと思うほど唸りを上げて、もう脱線しちゃうんじゃないかというくらい跳ねるわ揺れるわで経験したこがないくらいでものすごく怖かったのを憶えているエメラルドグリーンの電車。

ツートンだと...
一番下のは新幹線か
電気機関車もか...??いや、ちがう青か、横須賀線か?
微妙なちがいにみえるけど、分る人には全く違うツートンですかね。

クリーム色とエンジの特急電車には九州で一回だけ乗ったことがあるような、今でもたまに新宿で団体専用でみかけるけど。
国鉄カラー、あたりまえだけどすごく懐かしい。
郊外へと向うボックス席、冷凍みかんとお茶に弁当、カチャカチャ音がするフタの灰皿が付いていて、たばこでもっくもく。

30年ちょい前、東武東上線沿線に住んでいた頃、
クリーム色で木製の床に扇風機だけのボロッボロの電車、それがまたやつれているんだけど無骨で渋い顔で...
それと置き換わるようにステンレスの車体の新型が登場してきたあの時、
それはカッコいいような寂しいような思いで...
そのド渋なファイスのボロッボロの電車がやってくるとものすごく嬉しかったのを憶えている。それが鈍行ではなく威風堂々たる赤文字を掲げた急行だったりしたらそれはもう興奮したものです。
.... けど、大人達は快適ではない車輛ゆえに、なんだよっチッ!っとすごく嫌な態度だったけど。

スピードだすと絶叫モーター音、大人にとっては不快な激しいゆれを楽しみながら、ハレの日の乗り物ジェットコースターと同じような感覚の乗り物、荒川の上流の玉淀の鉄橋まで乗って行くのが冒険のようでとっても楽しかった。
チャリンコに乗るのと同じくらい電車に乗って遠出するのも好きだったなと。

なんか、チャリンコが単車に変わっただけのような二十代だったかもな、
それが今も続いているのだろうな。

source

photo2013 9/20
『色の力』

ランニングの時にも意識することが大切な丹田、そこが体の重心でもある。
丹田っていうツボは元気の氣、気分の氣、気持ちの氣の発信地っていわれている。
お腹が弱ると、痛いとなにもできないように、この丹田がとっても大切で、冷やしちゃいけないともいわれているんだかって。氣を強くする方法はいろいろあるらしいけども、ふつうの人はなかなかうまくできないので、
そこで赤いパンツをはくことで丹田に力を入れるのと同じような効果が得られるんだそうな。
色の力というものは体や精神にすごく影響を与えるといわれているけども、
おもいっきり分るのが、食べものの色、
真っ青なケーキや煮魚が出されたら食べたい!と思う人はまずいないはず。
牛丼屋の看板が青と黒で構成されていたらまったく入るきにもなりません。
会議室なんかの部屋は基本色として青を中心としてグレーや淡い色なんか使われています、色の効果で冷静さを引き出すということ。
寝室の色が真っ赤だったら血圧もあがってまったく落ち着かず寝づらいし、
逆に青や黄色、緑や淡い色だったらなんとも居心地がいいので爆睡だと。
紫って昔から高貴な色、位の高い人が用いる色で、ある人にとっては緊張したりする色でもあるけども、逆に落ち着くという人も多い色。
しかし寝室には用いない方がいいともいわれている。

仕事やスポーツ時なんかでガンガン攻める時には、その人によって青中心か赤中心か分れるところ。
たまに街でみかける真っ赤っかなおばちゃんやおじちゃんもいるけども、いつまでも元気でパワフルに生活を送って行こうということなのだろう。
ペーパーさんのように全身ピンクピンクの方もよくみかけるけど、温和で元気元気な日々を過ごしたいということの現れなのだと思う。
逆に真っ青な人はまず見かけないのは、真っ青に包まれていると体温も下がり、気も弱くなりすぎちゃって、日常生活ではそこまで常にそうであると良くないということだろうか。
つうことで、白や黒グレーなどのモノトーンや渋めの色の服が多い人は肌着やパンツを明るい色にしたらよいよってこと。

そんな赤いパンツで有名な巣鴨のマルジで温度調節機能が優れているっていうアウトラスト素材の靴下を購入。
これはNASAの為に開発した(まぁよくありますね)素材で、炎天下の日でも、寒さの厳しい場所でも、人間がいちばん快適だと感じる温度(31℃〜33℃)をキープしようと働きかけるんだと。ヒートなんとかやクールなんとかで暖かいな!とか冷えて寒!と感じることができるように、このアウトラストはどうなのでしょうか。
ぴっちりとサポート力がかなりいいので、うたっている効果がわからなくてもいいかなと。
シューズの次に大切な靴下、その靴下のコンディションで走りやすさがまるで違うと分ってきたのは成長の証しなのだろう。

photo2013 9/20
『コンビーフ』

コンビーフ、最近食べたはいつだっただろうか全く記憶にない。
10年そこらじゃないような...

ある日の夜に仲間と遊んでいた時、
友が「あー腹へったっ、なんか食べよう」とストアへ向った。
友が手にして買ってきたものは、マヨネーズとコンビーフ。
まさかのコンビーフ....
マヨネーズをどっさり盛ってパクパク食べる友、
幼い頃食べ過ぎて、一緒に生きてた我がネコの餌にもちょっと似ててあまり好きじゃなかったけど...
あまりにもおいしいおいしい連呼でパックパクの友。
牛脂とマヨだから合うよなと思うも、なかなかのパンチだよなぁ〜と。
彼が好きだった傷だらけのショーケン、薄目でみると完全にショーケンで。

いつだったか、家に長いこと眠っていたのか新規で買ってきたのか...
マヨどっさり盛って食べたけどもすんごいあぶらパンチ、
そうだわ牛は得意じゃないし...で、 一口でごちそうさま。

菅野美穂がジャガイモに大量のマヨネーズを盛ってガブってるCMをみて、コンビーフを思い出し。
OFF系のマヨじゃなく、赤いキャップの大元の純正を大量塗布だったらものすっごく酸っぱいだろうなと思いつつ.......にしても、ちょっと多いかなー

タルタルソース、スパゲティサラダ、ポテトサラダ、
マヨは多めがうまいのはどこんちも同じでしょうか。

ロースハムに多めのマヨネーズ、大盛りほうれん草のおひたし、
この2つさえあれば完璧な大好きなおかず。
時間がなくてちゃちゃっと出してたおかずだったんだろうと今は思うけど、
力持ちポパイの影響か、肉肉しい肉が苦手ゆえの加工肉ハムだったのだろうか、
チビん時からずっと変わらない。
鉄板にじゅうじゅうしている分厚いステーキと
ロースハムマヨが目の前にあるなら、迷わず後者....安いもんです。

photo2013 9/19 #2
『22:30』

平日は基本朝に走ります。
予定がない休みの日は日暮れる前のラクな時に。
目が悪いので、チビの時から日暮れるとぐんと見えにくくなって目が疲れる。
物や距離などの認識能力ががくっと下がってしまうので。
車輛を運転するのもなるべく夜を避けてきている...とは言っても夜が更けてくる時間に運転することもよくあるので、そういう時はさらにゆっくり慎重に々に、
そしてメガネも運転用に視力を補正できるギリまであげてきついのにかけかえる。
それでもギリ1.0出ているかどうかかな。

なので、夜にランニングすることもほとんどない。
ま、呑んでいることも多いしと。

だけど、イレギュラーで夜に走ることもあって、
昨晩は寝る前にひとっ走りしたくなって、10km。

歩道橋を下って、前を走るがたいのいいあんちゃん、
かなり速い、どんどんペースを速くしていくのでビルドアップ走だろう。
抜かしてみようと思いつつも、追いつけずにぐーんと先へと走り去って行って...
涼しい夜、月がきれいで中秋の名月かと思い出し、脚もどんどん動くのでペースを少しずつあげていって。
5.2km先でUターン、1kmあたり05'30で折返。
残りの5kmはいつもよりペースupしても辛くならずに、1kmあたり05'11。
たまに走れる5分10秒台、今の耐力では不可能だけど、42.195kmをこのペースで走りきれたら3時間40分くらい。

信号で時計を止めて流してそのまんまコンビニのアイスケースへ。
走ったあとのアイス、ビールの方がうまいけど、これはこれでおいしい。

ストレッチしてシャワーして歯を磨いて、
肉体的には疲れるけど精神は元気になって癒されて。
夜走るのもいいものだなと思いながら瞼がおりて就寝。

街灯に照らされる町内の掲示板、五明さんの“おかえり。”
歩道に佇む掲示板、気がつかない人も多いかもしれないけど、
このポスターに癒されるわという人も多いと聞く。
CMや雑誌でだれもが一度は目にしているだろう時を超越する美女。
matome

朝晩寒いくらいですけど、
あのア◯みたいな暑さからやっと開放されてより元気に。

photo2013 9/19 #1
『ゾワゾワ』

首もとがゾワゾワする意匠。

四輪バギーのインスパイアされたランニングシューズ。
アウトフィールド、砂地草地砂利道などの厳しい条件の地形に、
様々な角度からグリップグリップぎゅっぎゅっぎゅ。
オンロードでもOKなのだろうか?
マウンテンバイクなどのブロックのタイヤだと抵抗がかなりあるので、
アスファルトの道路を長い距離漕ぐとぐったり疲れるのと同じだろうか?
ふつうに歩くくらいならさほど疲れないだろうけど。

にしても、幼虫のようでかなりのインパクト。
ぶつぶつ恐怖症の方はムリですかね。

source

photo2013 9/18
『団地ついでに』

前の記事で団地についてふれたけど、
自分は、木造二階建て集合住宅→一軒家の1F→大規模団地→大規模団地という住まい遍歴がある。
まぁ大規模団地に住んでいた期間が長いのだけど、
地域によって造りによってそれぞれの団地群ごとの生活環境は違っていて、
他の地域の友らの団地群に行ってその団地に住まうこと、自分のとこの団地とはまたぜんぜん違うのを感じたりと多種多様で、そんな文化も面白いなと思って少年期を過ごしていた。

かの有名な団地マニアの方、マツコのTVに出ていた時のVはこちら
外から眺めるのはいいけど住みたいくはないと。
東雲の有名建築家設計の団地には住みたいと言ってたけど。

「住まうことはNO」って...
築30年越えでも住めば都。
「立て替えが進んでいる赤羽台の団地、一棟くらいは古いのを残して欲しいなって、一般的なマンションは居住者以外立ち入り禁止だけど、団地は立ち入り禁止せずにオープンであるべし」と...
住んでみないとわからないことが多くあると思うけど、階段の踊り場にえらいもんが放置されていたり、変なおじさん出没したり、身を投げる人もいたり、いろいろあるもんでしたけど。

...分るような気もするし、嫌ぁな感じもしてしまう人もいいかもしれない。

便利できれいな環境がいいのはみなそうですね。

初めて大規模団地に住むことになった時、
それはそれはなんて立派なコンクリートで大きな大きな住まいなんだろうと思ったもんです、花火みえるし富士山もみえるしと...30年以上前のこと。

photo

2013 9/17 『散歩RUN 志村一里塚〜桐ヶ丘団地〜赤羽八幡神社』

台風が過ぎ去った午後、夕刻前に。

南からの湿った空気でとても蒸暑い日曜日、
本番は明日未明から昼までとの予報。
横殴りの雨風が掃き出し窓を打ち付ける。
13時もすぎれば徐々に回復し、ひとっ走り。

都営三田線は巣鴨ー志村間(現 高島平)がまず最初に開通。
チンチン電車は地下鉄の開業でもって廃止された。
その後高島平ー西高島平も開通し、
西高島平から先は東武東上線に連絡する計画だったようだ。
東武とメトロ(有楽町線)と三田線も連絡していたら、
それはそれで便利だったような気もしないでもない。
ダイヤぐっちゃぐちゃか。

脱線、
中山道の志村坂上駅のところに、志村の一里塚が現存している。
都内で現存する一里塚は北区西ヶ原とここのみで、
大変重要な史跡として指定されている。
日本橋から3つ目の一里塚で、
一番目は本郷で言門通り・本郷通りと旧白山通りの交差点のところ、
二番目は板橋で近藤勇の墓付近の旧中山道のところ、
そして三番目は志村。
距離の目印として約4kmごとに設けられて、旅人の休息の場となっていた。
榎などが植えられて、日影で旅人は疲れを癒していたと。
饅頭やらおむすび、お茶なんか飲食していたのだろうか。

ここから先は台地も終わって低地になっていくが、
その途中に清水坂という坂があって、
街道筋では唯一右側に富士山を望むことができたといい、
うねった急な坂は今もその当時の姿を残している。
荒川が氾濫したら渡れないので、宿や休憩茶屋もあったと。

ながーい坂を下りちゃうと戻るのが大変なので、赤羽方面へと脚を向ける。

蒸暑い風は涼しい風におきかわり快適で脚もよく動く。
気づくと桐ヶ丘団地という都内最大規模を誇る団地群が現れる。
エリンギのようなぶっとい給水塔は団地群のアイコン。
桐ヶ丘団地ととなりの赤羽台団地は建物の老朽化でもって、
スクラップアンドビルドの真っ最中、
団地らしいデザインはもう今となっては廃れたもの、
今の団地のデザインは瀟洒なマンションのよう。
タワーマンションを途中でぶったぎったようなデザインのタワー型団地も
それは住みやすいのだろう。家賃えらい高いような気もするけど....
かつてのデザインの団地、
暗いエレベーターホールにはほぼ高齢者でチビの姿はほとんどみかけない。
それはどこの団地群でも同じような現象がおきているように思う。
チビにかわって猫が闊歩。
シーンと静かな敷地、夜の帳が降りたらそれはちょっと、
いや、知らなければかなりコワイ雰囲気でもある。
臨海地区のタワーマンションしかり、タワーマンションが人気の現在、
窓が開けられてエレベーター渋滞もないならばより快適なことだろうか。
上へ上へと派、地べた派に大きくわかれるけど、
低層のむかしの団地はそれはそれで贅沢な使い方だったように思う。
阿佐ヶ谷住宅なんか住戸へと続く小径は草木でしげって、
個人的にはタワーよりも古い低層の団地郡の趣が好きだけど。
メゾネットだったらなお。
阿佐ヶ谷テラスハウス
阿佐ヶ谷住宅、建替え。
代官山の同潤会アパートには銭湯があったように思うけど、
赤羽台の団地、単身者用は風呂トイレ別で共同浴場があったという。via
星型のスターハウスもあったと。
護国寺の裏にもスターハウスがあるけど、
今となってはとても貴重な造りです。via

テクテクと走って、公園で水分補給水浴び休憩をしていると
ママチャリのおかあちゃんが派手に転倒、
チャイルドシートの娘も横倒し...「ママぁ大丈夫ぅ?・・・」
声も出ずにうずくまる母、娘はウェーンと泣き出し...
膝小僧を少しすりむいたけども、母子共に大丈夫とのこと。
お母さんは脚を少し引きずりながら押して帰路へと...
大丈夫だったけど、心配でしばらく後ろ姿を見届けて。
なにもない歩道でも、ズルッと真横に倒れてたから砂なんかが浮いてたのかな...
メットは必須だと改めて思って、
またアシストママチャリって重いから転倒すると起こすのも力がいります。

緑道を下って行く...
台地の上からずーっとくだった緑道なので、たぶん暗渠になった川跡だと。
緑道が終わったところにノラ猫らとおばちゃんら、
ノラいじりをしているといつの間にかおばちゃんらと談笑。
ここらへん走っているの?という会話から、
あっちからずーっと走ってきたと言うと目が点にびっくりだと。
東京マラソンの話題から
健康ネタ、なんで走っているの?質問には歳を重ねていってもなるべく体動けるようにしたいしなるべくラクでいたからと返答、
猫から団地と高齢者のこと、
夫婦でマラソンしている人も多いわよね、
奥さんはマラソンしてないの?、
季節ネタ時事ネタから、
カラスと猫のエサの問題まで...
元気ねー、女性のような脚できれいだわとかなり微妙な褒められを。
20分くらい話しただろうか、
じゃぁ行くねと、また逢いましょうとーどうもありがとう、と後にして。

走っているとまぁよくおばちゃんおばあちゃんらと話すことになるけど、それも一興。

どんつき、ぶっかると新幹線の高架下。
赤羽駅のちょいさき、
赤羽の八難神社のところに出てきて。
この八幡神社は武蔵野台地のちょうどはしっこ。
神社の境内下にトンネルが掘ってあって埼京線と新幹線が通っている。
標高は20mくらいあるみたいで、
参道は心肺が口からでる級なキツイ坂になっている。
振り向けばすばらしい眺望である。
向こうから色とりどり多種の新幹線がこっちへ向って静かにやってくる。
当然、撮り鉄さんのスポットにもなっている。

蚊に喰われまいと足踏みして、
タイツの上からでもおかまいなしに刺してくる。
ひっきりなしにやってくる新幹線、
多くはE2系だったけど、たまにMAXっていう二階建て。
緑やレッドの新型は一本だけみれたけど。

200系や二階建てに乗って家族が住んでいた仙台に行ったのはだいぶ昔。
牛タン太助うまい。

埼京線よりも本数が多いのだろうか、ひっきりなしにやってくる新幹線、
東日本と東北を結ぶ大動脈、
東北から機関車で上野へはもうだいぶ昔のこと。
SNSの先輩のジョグ仲間は集団就職列車で上野にやってきたという。
北の玄関口である上野、もうすぐ上野と東京がつながって、
北や西への玄関口はもう消えようとしているのかもしれない。
熱海発黒磯行き、はたまた、いわき発小田原行き、
そんなロングランの在来線も運行されるようになるのか、東北縦貫線計画。
上野発の寝台特急は東京発になるのだろうか。

というか、全然埼京線こね〜な〜と思いつつ、神社をあとにして。

赤羽で呑んだことは何回かあるけど、
近年のうなぎ高騰でもって、あんなに安かったうなぎ弁当
もれなく今一般的な価格へ。
立ち飲みしながらおでんもそれもいいもの。
日光御成街道沿いにあった同級生の友の家は呑み屋で、
さんざん呑ませて雑魚寝させてもらったけど、
出世払いする前にママが亡くなってしまった。

20数年くらい前までは、中山道から赤羽へと向う時、
途中まで開通して途切れた環八を通ったけど、
朝なんかはもうえらい渋滞でぜんぜん進まない環八であった。
片道一車線、動脈である北本通りの信号はあっというまに青になるので、
環八は当然混むわけで...二輪でもすり抜けはあまりできず大変だった。
で、赤羽駅を東と西と渡るのもこれまた大変だった。
今はもう高架になっているけども、
その当時はまだ一部が高架になっていなくて開かずの大踏切があって。
赤羽から東十条手前までは貨物線に東北本線・京浜東北線・赤羽線という、
そりゃ踏切開きませんね状態で、線路をまたぐのがとても大変だった。
と同時期には、
明治通りの池袋手前五叉路、貨物線と明治通りには踏切があって、
朝の渋滞時に貨物が通るとこれまた大渋滞になって大変だったと思い出し...
東北・高崎線が池袋に乗り入れるにあたって、
貨物線の線路は掘り下げされて立体になって踏切は廃止、踏切渋滞は解消された。
その後湘南新宿ラインも開通するわけだが、
開通当時は本数も今よりも少ないながらも、
赤羽〜横浜は一本で行けて大変便利になったものだと感激したものです。

あちこちの路線、開かずの踏切は渋滞の元でもって路線は地下化されて、
たくさん廃止になって、駅も地下へそして線路が撤去されて不思議な土地が出現している。
確かにあぶなくないし渋滞は減るのでいいことばかりだけども、
街をゆっくり走る電車というシーンにはそれはそれの良さがあったけども。

なんだか電車のはなしになっちゃったけど、
起伏とインフラ、
体力を温存しつつ効率よく距離をかせがないようにと地図をみるのは、
昔も今も同じ。
エンジンやモーターを使わないと、
よりラクになるべく効率よく避けられるようにと
地図で起伏を意識するようになった。

この赤羽台の八幡神社のお隣のさきっちょには学校があるけど、
古墳群が見つかって、ずーっと前の大昔はここは中心の場所だったという。
突端には史跡や城跡が多くあるのは安心安全という先人の知恵ということだろう。

新幹線が下を通る八幡様、見晴らしがよくきっつい坂と階段があるけど、
とてもいいところです。

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photo2013 9/13
『元気の源』

家庭の医学的なTV番組が最近多いと、
母から来るメールから知る。

採血によって判明する暴飲暴食によるえらいこっちゃを越えた数値らに
驚きを隠せないタレントや人間ドックや特化した脳ドックになどによって、
自分のこれからの人生の終焉を突きつけられてアワアワする俳優、デザイナー、元プロ野球選手たち。
ドクターからはまずはタバコをやめて、というようなアドバイスから始まり、
アルコール摂取をひかえるようとだいたい言われているような。
尿酸値が高くて、もういつでも発症してもおかしくないと言われて、
とりあえずまずは食欲のコントロールと食の改善から節酒、禁煙します宣言で経過観察とあいなりまして。

心臓の手術をうけてもうすっかり元気にフェイスの血色もよく、
TVの前のぼくらはすごいなぁ....と思うばかり。
でも人ごとではないわけで。
あなたはまだ若いから、元気だからと医師に言われるけど、ほんとそうなの?
そんなに薬どんどん増えて飲んでいっていいの??と、そういう人も多いと聞く、いや、まわりにそういう人が多い。

走りすぎはよくないと医師が言うのはわかる。
やってみないと分らないけど、走る習慣をとりいれている自分がそう思うから。
ただ、何か知らないけど知らない間に気持ちがいいと感じるように経てしまったので、有害という見解もあるようだけど、シリアスにならずにもう走れないと感じるまで走ろうと思う。そのうち動けなくなるのだろうからその日まで。
好きなことはずっとしてたいのはみなだれもが一緒だと思う、種類がちがうだけで。

←ま、この先生が言うように生活習慣病などは
薬に頼らずに済むようなこともあると思うので、
おいしい酒やご飯がずっと食べたければよくないところを改善したり、
摂生すればらるべくラクにずっと楽しめるようになるのだろうし。
食べすぎ呑みすぎですい炎になってもう好きな食べ物や、
たぶん一番すきだった酒をもう生涯一切呑めないようになるのは想像を絶するつらさのような気がする、そんな芸人さんは中川家兄、おまえにくわせるタンメンはねぇの河本、チュートリアルの福田だっただろうか。

堰が決壊してもう元には戻らないようになる前に、若い若くない関係なしに過信はいらないということだろうか。
血の数値があまりよくないなら、まずはちまちま時間かけて改善するのも自分を見つめ直すいい機会と思えればよし、だろうか。

ごぼう茶飲んで、暗い早朝に真冬でも水シャワーするドクターもいるように、
ちょっと過激な、イクストリームなドクターの方がおもしろいのは確か。
生涯の鼓動の回数は決まっているから激しい運動をして心臓をよく使って鼓動を早めるのはだめだといってJOGはせずに早歩きウォーキングを実践、推奨と。
はたまた、優れた脳外科医は、ストレス発散に自分で細かなルアー制作をしてキャンパーで釣りに各地に出かけるという。手先を非常に緻密に使うドクターはストレス解消でも違う脳の回路にスイッチして趣味でも細かい作業をして発散と。

普段、薬はほぼ飲んでいない生活をずっとおくってきているので(ビオフェルミンと改源をのぞく)、鎮痛剤?的なやつとか飲むとえらく効く、ような気がする。
この数年でたまに飲むようになった胃薬なんかもえらく効く。
薬は好きではないので、ここぞという時にはたいへん重宝。

お金があればより質の高い予防の医療受けられる。
健康はお金で買えることも多々あると。

 

朝から夫がトップギアのご家庭は、
あなたのところ、
あなたの周りにいらっしゃいますか?

朝からトップギアの妻を持つ夫は幸せなのでしょうね。
朝4時に起きてもしっとりふっくらなおいしい飯が食卓に並んでいるのだろうから。

 

via 40歳過ぎのランニングは「元気の浪費」:日経ビジネスオンライン

photo2013 9/11
『夏の終わり』

この一週間、朝が涼しいというよりも寒い。
足のさきっちょとランニングシャツから出た肩が冷たい。
季節はいきなり変わるもの、梅雨前線が北上したら一気に夏、
南下したらあのク◯暑いのがウソのように涼しくて23℃の朝、
寒暖の差がはげしいからより寒く感じる、あ、エアコンはあまり使わないから余計そう感じるのかもしれない。
ダークグレーな空と澄んだ青い空に鱗雲が交互にやってくる9月、
水シャワーオンリーだったけど、一昨日からレギュラーに戻りお湯シャワーに。

...というか、23:30には寝て、あ〜よく寝たと時計をみると1:40には目が覚めて起床というかなり規則正しいような不規則な日々がもう一週間は続いているので、
五輪決定も新iPhoneら&docomo発売もリアルタイムでみられている。
iPhone 5Cは2年しばりで99ドル、企業間の価格サービス競争に期待して通信費をもっと下げて欲しいなと思う。
...すこぶる元気で、まっそのうち戻ると思うので秋の夜長を楽しもうと思う。
朝4時すぎ、台所に立っていると後ろが一気に明るくなるのを感じた。
ふりむくと リビングが赤く反射している。
外を見上げると空一面、みたことがあっただろうか... 橙色の朝ぼらけ。
幾ばくかの時で赤みがすっと引き、透明になって日常に戻っていく。
強い日射しが現れる前にシューズをはいて玄関を出る。
朝早い時間、街を走るランナーを多く見かけ、
朝型生活の方がなんだか気持ちがいいよなやっぱりと改めて思いつつも、
朝方や午前中にポックリ逝く人が多いって聞くよなぁあぶないんだよなぁと無理せずゆっくりと脚を踏み込む。

夏のお祭り、
そして秋のお祭り。

じゃがバターのバターはつけ放題というけど、
バターじゃなくてあれはマーガリンだろ、とつっこむ書き込み。
イカ焼きはゲソ部分がないからどでかいイカをイカの形に切っているんだよ、とつっこむ書き込み。
あの原価はやれいくらだ、それは暴利だとやんややんやと書き込み。
高額なゲーム機を獲得するために多額の銭をつっこむも、実は外れクジしか入っていなくてそれは詐欺だとおもちゃの露天商を訴えて逮捕と。
ハレの日のこと、つっこまないでもいいことは多くある。
透明なパックに入った焼きそばはいつもよりも数倍うまい、お好み焼きしかり。

おいしい型抜きは型抜かずにバリバリ食べるセレブな友、
要らないから端っこみんなにあげるよー、
わーいわーいちょうだい!と喜ぶ友もいる。
100円あげるからこれから遊ぼうよと、
その日の晩飯までの時間を買収するセレブな友はきっと寂しいんだろうなと、よく思ったあの頃。
今日遊ぼうようち来ない?とエアコンがんがん効いた子供部屋へ誘い、おじゃますると必ずガリガリ君だっただろうかソーダアイスをくれる友。
ある日、札束のようにどっさりと両手に型抜きをわしづかんで登場する友、
経緯を聞くとなんでも、自分ちのアパートの下の物置場のブルーシートを剥がすと、露天商のおいちゃんのであろう型抜きやおもちゃなんかが大量に隠されていたんだよ!と、すごいっしょ!あげるよーと。
友はこっぴどく怒られたのは言うまでもないが、だれでも通れる屋外に保管するおいちゃんもどうかと思うと申し立てをして、友の罰の軽減に力を注いだあの頃、もう30数年も前のこと。
その万札ライクな型抜きの束の友ん家に行く時に通る◯◯西銀座商店街は幅員6mほどだったけど、道路拡張によって三十数年経た今は3車線に様変わりして、商店街は完全に消滅してしまった...その道を南下すると名称が次々と変わり、世田谷区では三宿通りと言われている。

汗だくで辛そうにしてお好み焼きを作っている店主に、
「暑いですね、頑張ってください。1つ下さい。」
「あぁどうも、チビがいるからさ、頑張んねぇとさっ、まいど!」と。

超ロングなフランクフルトをぶるんぶるん揺らして遊んで頬張る男子学生ら。
お互いに照れくさそうに祭りデートを楽しんでいる中坊、暗いとこでチュウするのも時間の問題。

・・・ハイボール1L飲酒後、業務用エアコンの直下にてキツ目の冷エアを燦々と浴びながらのあっつあつっ大勝軒も心地いい夜、のどカラッカラの食後はレモンサワーで悪循環それも一興か。

日中のひどい暑さをのぞいて、昔の夏と今の夏も変わらないもの。
いつの時季でもお祭りはいいものです。

photo2013 9/10
『五重塔』

近場で思いつく五重塔は...
上野と浅草、池上だろうか。

かつて谷中にも五重塔があったと。

太平洋戦争時、谷中付近は幸いにも火から逃れられて、お寺さんなどの古い建物も数多く残っている地域である。via
谷中の五重塔は関東で一番高い塔として、谷中のランドマークになっていたが、
あるおじさんと若い娘の不倫関係でもって、
彼らの不倫の清算をはかるために身勝手にも道連れで焼失させられてしまったという悲しい出来事、もう戻らず。via

残念ではあるが、
不幸中の幸いにも実測図が残っているので復元は可能とのことだが、
莫大な建設費がかかるために自治体レベルでは難しいことだろう。

そんな谷中の五重塔は幸田露伴の“五重塔”のモデルになっている。
ということで、
明治文学はほとんど読んだことがないから、
たった20数ページということなので義母から借りて挑戦を。

....初っぱなからよくわからずで、、
ググッてあらすじを読んで内容がわかったところで、再挑戦を。

読んで読書感想文を書きなさい、と言われた学生の頃...
羅生門、坊ちゃん、我が輩は猫である、蟹工船、蜘蛛の糸、斜陽、人間失格、
何ひとつとして完読できなかった。
窓際のトットちゃんを読んで感想文を!といわれたけど、全く憶えていないので、フィニッシュできたのだろうか?提出できたのだろうか??

正直、先生から授業などで教えてもらった作品はたのしいとは思えなかった。
そんな人多いような気がするけど...
しいていえば、走れメロスが記憶にあるけど、友のために制限時間以内に懸命に走ってなにかを届けるんだか、成し遂げるっていう内容だったかな。

30〜40代だと、小説は赤川次郎でしたかね。
ショートショートの星新一作品も次郎と同じくおもしろくて何冊か読んだけど。

小説よりもなにがなんでも図鑑typeな少年ら、哀川翔のように...
家には親戚や友達からもらった図鑑がたくさんあって、とても大切にして読んでいた。図鑑を読書感想文で書いてたような記憶があるけども。

...にしても目がチカチカする文字の五重塔の文で流し読んだらさっぱり何も入ってこずにでも何度も挑めよか。

photo2013 9/9
『CB250』

大きな車体で悠々と、
なるべく小さな車体で軽快にと、
大きく分けてそうなるでしょうか。

400ccでも大きく感じるので、二台持っていた頃でも、
いつも200ccのバイクによく乗っていた。
都内や近郊だったら十分だったし。
だから400ccのバイクは2年も乗らずに手放した。
重心が低くて重かったし、その対極で200ccのは重心が高くて軽かったから。
だもんで10万kmくらい乗っただろうか。丈夫でよく回ってくれるエンジンだったし。

なるべく軽くて小さいのが好きなのには理由もあって、
トラブル時、一人でもあまりゼイゼイはぁはぁせずに押せること。
停めやすくて、ひょいひょいひょいと小径を走れて、なんならちょっとした悪路もOKっていう。
スピードもさほど求めないので速い車輛でなくても十分。
パンパンパンパン、トコトコ走るのが楽しい。

だから、車検もない軽い250ccくらいの車輛が一番ぴったしなような。
←このバイクなんか乗ってみたい。

大排気量でもカスタムして車体がとても小さくてなるべく軽いのだったら、すごく楽しいのでしょうね。

via

photo

2013 9/6 『加賀藩江戸下屋敷 奥山正 著 人んとこ荒らすな』』

“敗者の豊島氏(板橋氏)がやがて歴史上から忘れ去られようとしている。
それに対し太田道灌は都市開拓の功労者として銅像が建ち輝いている。
現在、豊島氏と太田道灌が戦争犯罪の裁判をしたら、
侵略者はいずれであるか陪審員である読者は判断するであろう。
真の歴史を知るには、名将の誉れのみであってはならない。
当時の庶民は、一人の貧しい老婆や自分の子供、孫の幸福のために、
権力もなく弓も刀も持たず、自然の中で作物を作っていた。
なんの野心もなく、
小川の流れに梅の花を咲かせてクワを洗う農民こそ平和な自然の歴史であり、
それを乱し己の繁栄のために城を造り天下をめざしても、真の名将とはいえない。
それは自分の欲望のためであるからだ。”
(板橋城と板橋氏 浅沼政直著 より)

・・・と太田道灌をバッサリきる著者に己の郷への想いの強さをかんじます。
豊島氏とその一族は太田道灌との戦いにやぶれ落城、
ほとんどが滅亡させられてしまったが、板橋氏は生きのびてその後活躍する。
通説によると、板橋城は環7と川越街道の交差点にある長命寺、
あるいは北区十条の稲付付近ではないかと...著者によると後者だと推測とのこと。
ちなみに前者なら国道245号線川越街道で河越城へとつづく道、
後者なら国道122号線岩槻街道(日光御成街道)で岩槻城へとつづく道。

太田道灌死後、後北条氏の支配下となった板橋氏、
板橋親盛とその養子である親棟は後北条氏に戦いの功績を認められ、
北関東に出陣し、旧今市市(現 日光市)の砦の遊城坊綱清(宇都宮氏一族)を追いだして自らこの地に広大な板橋城を築き、今も現存する板橋という名の地区を残したと。
国道121号線、栃木県日光市に何で?“板橋”という交差点があるのだろうと、
かつてそう思ったことがあるが、板橋氏と関係があったというわけで...
(写真3枚目)

板橋区にあった板橋城は豊臣秀吉による小田原征伐によって小田原城が落城し、板橋城も廃城になったとされている。
そして、今市の板橋城は徳川家康の近臣として仕えた松平一生が入城したと。

 

図書館にある貴重な本、とてもおもしろい。
あれやこれやで頭こんがらがるけど。

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