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2019 10/30 『古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)』

飛鳥山博物館で開催されている“古写真はわたしたちに何を伝えるのか?”展に行った。
石神井川の旧河道で現 音無親水公園(写真一番下)に、今も営業されている王子の料理屋・扇屋のかの有名な写真をはじめ、扇屋の庭や働く女性の姿もあり、貴重な写真がたくさん展示されている。
他には滝野川の紅葉、王子の紅葉などもあった。
現在の扇屋では卵焼きを購入することができるので、手土産にも良いと評判だという。
一番下の写真のカーブの右手に現在の扇屋があり、かつての扇屋が写っている写真とほぼ同じ構図。
現在のこの音無川(石神井川)は度重なる河川の氾濫によって、王子の町が酷い水害に遭ってきたことから、河川の付け替えを行い、飛鳥山の下にバイパスを造り、今はそちらに流している。
なので、かつての音無川は音無親水公園として整備されて、夏場や春のお花見シーズンでは多くの観光客や近隣住民の憩いの場として安全な環境の元、賑やかな環境になっている。(2019.11.01加筆)

展示会は無料で12月15日まで開催されている。
商業目的以外の撮影は、フラッシュなしで可能とのこと。

引用----------------------------
このたび北区飛鳥山博物館は、秋期企画展「古写真はわたしたちに何を伝えるのか?―写された幕末・明治の北区の名所―」を開催するはこびとなりました。
幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川は日本人のみならず外国人の関心を集めた地です。
その名所の姿は、当時の先端技術であるコロジオン写真によって記録され、また意外なほど多くの写真が今に伝わっています。そのなかには、日本の写真史でもごく初期の1859年に撮影された王子の料理屋・扇屋の写真も含まれるなど、浮世絵などの絵画資料とは異なる景観情報に満ちています。
本展示を通じてご来館のみなさまに、幕末維新期の写された名所の姿に触れていただき、地域理解の一助にでもなれば幸いに存じます。
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渋沢栄一も古代の人々も愛した飛鳥山一帯は今でも見所がたくさんあり、一等地はずっと一等地であることを再認識させられる。

【過去記事】
駒込富士神社と古墳群
北区西ヶ原 熊野坂
縄文人の一生 西ヶ原貝塚に生きた人々

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2019 10/24 『防止グッズ3 キャンピングツール』

【過去記事】
防災グッズ1
防災グッズ2 バックパック
防災グッズ3 キャンピングツール

上記の過去記事も参考に。

先日の台風19号...これまでに経験したことがないような大雨....東京地方に特別警報.....警戒レベル4そして5....江戸川区の一部 43万人余りに避難勧告....21都県の1000万人以上に避難指示・勧告。
今まで見たこともなかった言葉が目や耳から入るあらゆるメディアからばんばん入ってきた。
今後もえらいことが起きる・・・
阪神淡路大震災にはじまり今までの災害震災から、少しずつ準備をしてきて、時間が掛かったがようやくまとまってきた。
キャンピングツールは今から20数年前から使っている物で、このツールを背負ってツーリングキャンプによく出かけていた。道志村で未だ行方不明の子がいるが、かつてはよく道志村にキャンプ、といってもキャンプ場ではなく野営で自然を楽しんでいた。
かつてはキャンピングツールが非常用として流用することを想定もしていなかったが、今後何かあったら少しの期間はしのげるのではないだろうかと思っている。
最近追加したツールは1800lmの明るさのLEDライト(そこまでの明るさは出ているかはどうだか)で、これはSOSの点滅モードもある。そして、ゴアテックス(防水素材)のトレイルランニングシューズとあとは簡易トイレ。これから補充するのは、電池充電式の携帯のバッテリーと手回し充電ラジオだろうか。(手回し充電ライトは収納済み)あとは、食べ物をもう少しだろうか。

メディアからも指示が出るが、避難所に何万人も収容できるはずもないので、住居が災害に堪えうるようであれば、外に持ち出さなくてもこれらの防災グッズは役にたつはず。
そういう事態にはならないことを願うばかりだが、自分が知っている自然状況とはもう違うので、備えあれば憂いなし。
一番許せないのが、避難している住戸への侵入・窃盗....かつて、近所で爆発の事故が起きたことがあって、居住者を救助したことがあるが、その住人がお礼に来た時に言っていたのが窃盗盗難で、ありとあらゆる貴重品やブランド物をいっさいがっさい持っていかれらたと言っていた。規制線が貼られている住戸でたった数日のこと、都内でたくさんの住人が住んでいる地域でも何も関係なく盗みにやってくる。

適切な判断と迅速な行動、そして体力と耐力が前提にあってのツール。
役にたたないことを願いつつ、今も出来る限りの準備を。

最後に掲載している本は、5年くらい前のものだっただろうか。
地形を知ると様々なことが見えてくるという内容なのだが、今回のような甚大な被害災害が発生すると、メディアによく取り上げられる。
こういう地理の本を読んで地理地形を理解していると、より良いのではないだろうか。オススメです。
以前、暗渠になった川(蓋をされて下水道になった元川)沿いに、友が新築で家を建てたことがあった。大雨が続いて、建築中に基礎が水浸しになったことがあったと言っていた。建築主の友はその土地の目の前が暗渠になった川で、しかも他の河川の合流地点至近であることを知らなかった。元一級河川が一級河川に注ぐその土地は、地形では一番下の場所となり、排水溝に流れ落ちない大量の雨が、道を伝って基礎に入り込んだ可能性もあることを伝えると、なるほどと言っていた。
緑道が暗渠となった川であることも多いので、土地をよく知っておくことはとても大事だなと改めて思ったことであった。

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2019 10/23 『防止グッズ2 バックパック』

一番下と2番目のバックパックは20数年使っていて、どうだろう30〜40Lくらいあるのだろうか。真冬、一人分で数日うろつくくらいは十分だが、2人分になると当然収納しきれなくなる。
この数年、とにかく大荷物を背負って都内をあっちこっちと動きまわっていて、荷物はどんどん増える一方、より容量のあるバックパックでないと対応しきれなくなったので、去年の春にポチッと75Lを。
本格的に登山に行くなどのアウトドアユースではないので、数万をかけるのもちょっと....と思っていたところに、なかなか良さげなバッグを発見。
えらい安くて五千円ちょい、どうかなと思いつつも、開封して使ってみたらよくできている製品だった。(中国製かな?)
大量の荷物を詰め込んでも、自分が使う用途では十分すぎるくらい収納できる。
背負ってあちこち10km移動してもぐったりとヘトヘトにあまりならないのは、この10年間、日頃からなるべくランニングやウォーキング、スケートボードなどをしているお陰だろうと。体質改善をしていなかったら、どうなっていたことかと、ぞっとすることも多々ある。
というか、南北の移動って電車が通っていなかったりするから、結局かなり歩くことになるんですよね。。

レジャーではなく非常用として活躍中のバックパックというのも一石二鳥ではないかと。
まぁ財布と携帯のみの携行が一番良いのだが。
ものによっては激安く買えるアマゾンって、もうなくてはならないですね。
このバックパック、わりかしオススメできます。(値上がりしてますが)

【過去記事】
防災グッズ1
防災グッズ2 バックパック
防災グッズ3 キャンピングツール

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2019 10/21 『第三回目』

スケート仲間の親友が突然この世を去ってもう3年になる。
そんな訳で、弔い会合第三回目を行った。
よく笑って実に楽しい時間を過ごすことができた。
彼は本当に幸せだと思う。

やすらかに。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用

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2019 10/18 『patagonia 1990年版カタログ』

写真一枚目、1996年版も一部含むが、1990年版のカタログは目白のストアで、高校生の頃にもらった。
確か、ポパイにpatagoniaが特集されて、日本にシンチラ(フリースのこと)が展開され始めた頃だった。
色とりどりのシンチラを着たモデルが立ち並んでいるショットに、アウトドアのアパレルって格好良いなと思ったものだった。
すぐに目白に行って、ショッキングピンク?だったか、フリースを買って、夏前には赤いスイムショーツを買い足しに行ったのを憶えている。
夜な夜なこのカタログを見るのが、なんとも楽しい時間だったので、ふと気づくと、ぼろくなったが今でも大切に書架に並んでいる。
プールでスケートをしている写真、デッキもその当時の懐かしいスタイル。
この時期くらいから、ダブルキック(両端が反り返っている今のスケートボードの型)がちょいちょい出始めてきたのではなかっただろうか。

そうそう、アウトドアものだから暖かいだろうと、真冬の夜にトレーナーの上にシンチラを着て、強力なハロゲンライトを付けたMTBに跨がり、意気揚々と土手に行ったら、シンチラは防風なしってことが分って、ブルブル震えて速攻で帰ってきたのもよく憶えている。
なんだ、使えねぇかもなコレ,,,,って思ったもんで。
でも、実際はウインドブレイカーの下に着たら暖かかったので良かったんだけど。

そんなpatagoniaだが、アルパインジャケットだったかかな....これも、シンチラも、ショーツも今は全部ブカブカで、今はあまり着ていないけど、大雪や寒い環境下でのバーベキューなどの遊びの時には、今でも多いに役にたっている。汚れても気にしないし、バッグは変わらずに普段使いとして無くてはならない。どれも昔の古いデザイン、シルエットだけど、これはこれでクラシックで良いモノで。
たまたま調べたら、昔のカタログってまぁまぁ高価な取引がされているようで。

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2019 10/15 『経王寺 彰義隊を攻撃した山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾』

谷中(谷中銀座の入口)の夕焼けだんだんのそばに経王寺がある。
このお寺の山門には弾痕がいくつもあるのは、幕末、新政府軍と彰義隊が上野の山(寛永寺)で闘った上野戦争で、敗走した彰義隊をこの経王寺がかくまったことで、新政府軍に攻撃をされた際にできたもの。
弾痕は歴史好きの観光客によって触られて、エッジは丸くなっている。

そして、下から2番目と3番目は上野の山の上野清水観音堂内に掲げられている上野戦争を描いた絵馬と佐賀藩のものであろうアームストロング砲の砲弾。
現 東京大学(旧 加賀藩前田家上屋敷)に陣を構えた新政府軍のアームストロング砲は不忍池を越えて、上野の山での闘いに加勢した。
アームストロング砲の威力に、旧幕府軍の彰義隊はとても驚いたことだろう。上野戦争はあっという間に終わり、多くの彰義隊が命を落とし、遺骸は野ざらしにされたという。

一番下の写真、最後の将軍 徳川慶喜が晩年撮影した写真がいくつもあるが、上野戦争あお指揮した長州藩の大村益次郎像を撮った写真が有名だが、どのような思いで撮ったのだろうか。とても気になる。(将軍が撮った明治より)

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2019 10/14 『台風19号』

気象予報士のツイートにただならぬものを感じて襲来に備えていた。
金曜日の昼すぎにストアへ買出しに行ったら、パンやカップ麺の棚はもうすでに品薄状態だった。
そして晩を迎える....緊急速報メールが大音量と共にばんばん送られてくる。
眠れずにツイッターなどを細かくチェックして、やはり甚大な災害となっていることが分り、朝を迎えると大量の情報を目にすることになった。

胸が痛む映像とは真逆の過ぎ去った青い空....河川は落ちついて静かになり、川や公園には多くの人々がいた。そして、商店街はいつもの普通の姿になっていた。
あちこちぐるっとまわって8kmほど。
そして晩は歩いて晩飯。
ん?ん??...チャーシューが無いぞ....海苔の裏かな?ん?麺の下かな?ん?ないぞないぞ、どこかに隠したか?.....あぁ増税にてチャーシュー無しになったか?・・・いや、チャーシューって結構大事なブツだよなぁ。
チャーシューが無いことを告げると別皿で提供された。前は、ほうれん草増しにしたけど忘れてたこともあった。それだけ、忙しいということでおいしいお店なのだろう。それはそれで良いことだと思う。
じゃっかんバタついたが、濃い濃い家系はやはりおいしい。
でも、かつてはこれにご飯と餃子をつけて丁度良かったけど、今はラーメンだけでお腹がいっぱい....これは加齢ですね、たぶん。
あぁもう大勝軒は麺少なめでないと食べられないかもな....と、澄んだ夜空に輝く綺麗な月を見ながら、少し寂しく思いながら帰宅。

こうして写真をみると、やはりチャーシューがないと寂しいですね。
靴を履き忘れたような感覚かな、どうだろう。
ほんとどうでも良い話。

朝晩はだいぶ涼しくなって.....季節の変わり目、ご自愛ください。

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2019 10/9 『今季最後の』

ショートのタイツ・ショーツで走る暑さは今日までかな....今週の土曜日のこと。
日曜日からだいぶ涼しくなってきて、寝やすい環境になった。
しかし、週末はまた酷く勢力が強い台風が関西・関東へと向っている。
大ごとにならないように。

ジョグ後のパークで一杯だけ飲む泡も終わり。
・・・あ、走りながらペットボトルをグラブして水分補給はしているけど。

【過去記事】
2011 6/22 『二年前の君たちと今の僕たち』

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2019 10/7 『山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑』

台東区谷中5に幕臣 山岡鉄舟が建立した全生庵がある。
団子坂から谷中霊園へと続く道にあり、山岡鉄舟のお墓には多くのお供え物があり、多くの参拝者が訪れていることがわかる....人気のある武士ですからね。西郷隆盛と勝海舟の会談に先立ち、西郷隆盛に直談判しに敵陣に入って約束を取り付け、江戸城の無血開城に裏で尽力したことはとても有名ですね。武士は食わねど高楊枝、そのままのような方だったのでしょう。
詳しくはこちらを。

そして境内には、有栖川宮熾仁親王の篆書体で山岡鉄舟居士之賛と刻まれた立派な碑がある。
谷中は風情のある下町で、台地の上は寺町であることが特徴の町。
多くの観光客で賑わって通るたびに良いところだなと思う。

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2019 10/2 『ホワイト餃子(ファイト餃子)と肉まん』

巣鴨のファイト餃子....お店で食べれば良いんだけど、いかんせんいつも並んでいる。
で、冷凍生餃子を買いに行くももういつも売り切れ。13時くらいでももう売り切れという人気ぶりで。もう何回買えなかったことか。
最近、午後の部開店あたりに覗いてみたら、売り切れのお知らせがナシ。
何年かぶりに買えて満足満足。
本来は仕上げに油で揚げる餃子なんだけど、通常の餃子のように、湯でグツグツやって、湯が無くなったら胡麻油で仕上げ焼き。
いつもは20個を焼くけど、今回は10個で....一般的なフライパンだと20個の方が餃子どうしが密着するので良い仕上がりになるけど、10個だと仕上がりがあまり良くない。ちょっと元気がない餃子になったけど、味は当然良し。
今回の消費税増税で価格据え置きの個数を減らしたと。それでも十分に安いです。旧店舗時代からもう30年通っている同級生と共に、何年か前にお店で宴会をした時、女将さんも値段については悩んでいましたが、それでも十分に安いと思う。

【過去記事】
ホワイト餃子を家で焼く
ホワイト餃子アディクト
ホワイト餃子(ファイト餃子)と肉まん

で、下の肉まんは、最近よく通っている上板橋駅(東武東上線)の南側の商店街にできた肉まん屋の久保田で買った肉まん。
これ、一日200個くらいしか作れないそうで、いつも売り切れだったが、この前買えた.....餡がぎっしりでラー油かな、が効いててなかなかおいしかった。
いかないけど、2個いったらお腹いっぱいのボリュームで、ひとつ300円以下だったと思う。
【過去記事】
醤油電車(東武東上線)