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2020 12/19 『板橋区志村2丁目 旧中山道 富士・大山道の道標と庚申塔』

地図の黒丸部分、旧中山道沿いに富士・大山道の道標と庚申塔が立っている。

案内板から引用ーーーーーーーーーー
富士・大山道の道標と庚申塔

富士・大山道とは、霊山である富士山や神奈川の大山へ通じる道です。
この場所は中山道から富士・大山道が分岐する場所でした。
向かって左側の道標(道しるべ)は、寛政四年(一七九二)に建てられたもので、正面には「是より大山道 并(ならびに)ねりま川こへ(川越)みち」と刻まれています。
右側の庚申塔は、万延元年(一八六〇)に建てられたもので、左側面に「是ヨリ富士山大山道」とあり、練馬・柳沢(西東京市)・府中への距離が示されています。
この二基の石造物は、江戸時代の交通や信仰を物語る上で貴重な存在であり、昭和五十九年度に板橋区の文化財に登録されました。

平成十七年三月

板橋区教育委員会
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写真一番上、“いたばしの史跡探訪”から引用。
写真を撮ったこの当時には二基とも台座が写っているが、現在はモルタルで埋められてしまっていることが分かる。
転倒・倒壊防止のためだろうが、他に方法はなかったのだろうか。
貴重な史跡であることには変わりはないが、三猿が可哀想に思ってしまう。

※練馬・柳沢(西東京市)・府中への距離:練馬 江 一里・柳沢 江 四里・府中 江 七里と刻んである。
一里は約4kmなので、練馬までは4km、柳沢(西東京市)までは16km、府中までは28kmとなる。

※写真一枚目、この当時の二基の後ろは飲食店のような商いをしている雰囲気がある。
また、 下記の関連記事から当時2014年の写真を見ると、この二基が立っている後ろの建物は、お茶漬けが食べられる飲食店で、現代の旧道の休憩処のようで趣があった。長年この場所で商売をされてきた家だったのだろうか。

【関連記事】
■富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標

■板橋区志村一里塚隣り 中山道 齋藤商店
■板橋区 清水坂 中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所 合の宿
■板橋志村、この地に生きて 大野邦雄 遺稿集

■練馬区 ふじ大山道

■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚

■板橋区小豆沢 御手洗池(御手洗不動旧跡)
■旧中山道 板橋区志村 清水坂と平次坂(へび坂) 志村清水坂緑地(清水坂公園)の湧水
■旧中山道清水坂そば 板橋区志村二丁目の湧水
■志村城山公園の湧水と志村城跡
■板橋区 小豆沢公園の湧水
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #1
■板橋区 小豆沢公園 湧水を使った池 #2
■薬師の泉庭園 板橋区指定記念物

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2020 12/15 『板橋区蓮沼町 古道 稲付道に立っている庚申塔』

地図の青丸部分に庚申塔がある。
庚申塔がある道は古道で、稲付道(いなつけどう)と呼ばれていて、かつての稲付村や王子村の人々の中山道へ出る道であった。
地図2−3枚目の古い時代の地図の赤いラインが稲付道にあたり、中山道から日光御成道へとつながっている。
3枚目の地図の黄色丸部分、赤羽西派出所の向かいに庚申塔があり、その坂の名は真正寺坂と呼ばれている。

地図を見ると分かるが、稲付道は東京陸軍兵器庫の建設に伴い、一部が分断された。
【関連記事】
■北区赤羽西 真正寺坂 「しんしょう昇る」と庚申塔

稲付道から旧中山道を南下すると王子稲荷道があり、こちらも王子村と板橋をつなぐ重要な道であった。こちらも一部が分断された。
【関連記事】
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”(2020年8月29日写真追加)

■旧中山道はタネ屋(種屋)街道

■東京第二陸軍造兵廠 稲付射場跡 梅木小学校にある陸軍用地の標柱(石標)
■東京第一・第二陸軍造兵廠 陸軍兵器補給廠へつながる赤羽根火薬庫道にある陸軍用地の標柱(石標)

稲付というと稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)についての記事をよく見かけるが、稲付道についての記事はほとんどヒットしない。
【関連記事】
■稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)と日曜寺と智清寺に架かる橋
■姥ヶ橋延命地蔵尊と根村用水(稲付川や中用水、北耕地川とも言われる)
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■北区十条仲原 稲付川に下る游鯉園の坂
■北区十条仲原 稲付川に架かっていた游鯉園橋
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川) 水車の坂
■稲付川(根村用水・中用水・北耕地川)が流れる深い谷底
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱
■十条板橋道と王子稲荷道の追分に置かれた(仮称)稲付の関所跡と稲付川に架かる赤羽根火薬庫道の橋跡
■北区上十条 姥ヶ橋の延命地蔵尊に添えてある小さな角柱型文字庚申塔道標
■徳川慶喜が撮影に来た板橋区の日曜寺 松平定信奉納の扁額と根村用水
■板橋区大和町 日曜寺に架かる根村用水の橋(親柱・欄干)と平尾町内中の石柱(平尾宿)

■赤羽西二丁目地区急傾斜地崩壊危険区域と稲付城跡にある静勝寺から宝幢院の道標

この庚申塔の横の道を北へ少し進むと巨大な唐揚げのデカ盛り弁当で有名だった大黒屋さんがあって大人気だったが、残念ながら数年前に閉店した。
日曜朝一の皇居ランと月曜日のランチ大黒屋の海苔唐弁当

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2020 12/10 『北区西ヶ原 西ヶ原遺跡(西ヶ原<西ケ原>貝塚)』

地図の黒丸部分に西ケ原貝塚(集落・貝塚がある)がある。
この貝塚は有名で、東京都指定文化財(史跡)になっている。
貝塚の南側には染井霊園の長池を源泉として、不忍池に注いでいた谷田川が流れていて、北側には海が広がっていて、とても住みやすい環境だったのだろう。

北区飛鳥山博物館より引用ーーーーーーーー
西ヶ原貝塚は、東京都を代表する貝塚の1つで、古く明治11年頃にはすでにその存在が知られ、これまでに坪井正五郎博士をはじめとする多くの研究者によって調査されてきた。
貝塚は東西約150メートル、南北約180メートル、平面形が馬蹄形を呈する大規模なもので、分布の中心は、ほぼ現在の飛鳥中学校の校庭のあたりにあったものとみられているが、今日では宅地化が進み、地表から貝塚の存在を確認することはできない。
これまでに行われた発掘調査によって、貝塚の形成は縄文時代の中期後半頃(約4200年前)から始まり、後期後半頃(約3200年前)まで続いていたことがわかっている。

最盛期は後期前半期(約3700年前)で、貝塚の貝は、当時東京低地にまで入り込んでいた東京湾の海浜から採ってきたとみられる鹹水産のハマグリや、汽水産のヤマトシジミを主体としている。

また、住居跡や墓壙などの発見に加えて、縄文土器や石器、骨角器なども多数出土している。
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全国遺跡報告総欄より引用ーーーーーーーーー
[西ヶ原遺跡 要約]
馬蹄形に分布する貝層東側の3分の1程を発掘し、前期前半の集落および中期末から晩期前半の集落を確認した。
貝層は、住居跡内等に形成された後期の中・小規模の貝層のみで、大規模な面貝層が形成された西側とは対照的な様相を呈していることが判明した。
弥生時代の遺構はすべて後期で、周溝墓群を挟むように同期の住居跡が分布する。
古代では、古墳時代末期から奈良時代の住居跡を11軒検出した。この時期は調査区北側に隣接して豊島郡衙が設置され、整備拡充される時期にあたるが、郡衙遺構の検出はなかった。
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【関連記事】
■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)
■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆

■北区 中里遺跡出土丸木舟
■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟

■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■愛染川と枇杷橋(合染橋)跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■不忍池(古石神井川、谷田川・愛染川)
■霜降銀座 古石神井川と谷田川 谷田川に架かっていた石橋

■北区王子 飛鳥山1号墳

この付近(巣鴨〜王子〜上中里)は遺跡・史跡、川跡、古墳、古道などが多いので、訊ねてみるととてもおもしろいですよ。

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2020 12/8 『山手線唯一の踏切の廃止 踏切問題』

山手線で唯一ある踏切が廃止されるとのこと。
どの路線も踏切問題を抱えていますね。

そういえば、池袋と目白の間にも踏切がかつてあって、どのくらい前か忘れたけど、EV付きの跨線橋に替わって廃止された。
だいぶ前だけど、十数年前かな...池袋駅と板橋駅(北池袋駅)の間(上池袋)に架かっていた跨線橋も廃止された。

北池袋駅の踏切横断事故....無理に渡って、お母さんとチビが亡くなった。
東武東上線の大山駅の踏切事故....携帯を見ながら降りたバーをくぐって亡くなった....常盤台駅の踏切では、踏切の横にある交番の警察官が、渡りきれない人を救出する際にはねられて亡くなった。殉職....交番のところには亡くなった警察官を祀る碑がある....通った際には手を合わせている。

竹ノ塚の踏切事故も記憶に新しい。踏切廃止、高架へ。

30年近く前だけど、池袋駅の手前、明治通りには貨物線の踏切があった。朝の貨物の通過時には、いつも渋滞している明治通りの渋滞がより酷くなっていたのを憶えている。第一だったか第二だったか鎌倉踏切という名称だったかと思う。明治通りは鎌倉街道を一部吸収して通した道だから。
貨物線を高崎線?東北本線?を利用して池袋や新宿に乗り入れるために、湘南新宿ラインが開通して、とても便利になったのもつい最近のように思う。その当時、バイクで池袋にある予備校に通っていて、授業に遅れてはいけないので、貨物線の通過にはいつも来ないで来ないでと思って運転していたけど、遠回りして春日通りの陸橋を使うようになった。

あと、北千住の踏切....今は踏切の状況はどうか知らないけど、ずっと昔、踏切の向うにある現場へ行く時はいつも30分は早めに家を出ていた。途中で踏切の警告音が鳴ると結構ビビるんですよね。。

あ、あと、赤羽駅付近の踏切....これにもいつもイラっとして待っていたのを思い出す。大渋滞の環八をすり抜けしてやっと赤羽駅付近についたら、踏切渋滞。。。
あ、あと、東北沢駅のトコのもの...千川通り付近の西武池袋線のも。。
キリがないけど。。
昔はとにかくよく踏切待ちをしてました。
踏切廃止はチビや高齢者にとってもとても良いことですね。

あ、代々木駅の踏切もよく通るけど、あれは廃止は出来そうにないですかね。

一番下のはお母ちゃんが作った風のドライカレー。
ドライカレーは凝ったらきりがない料理のひとつ。
豚挽肉があったので、いつもの手間をやめて、さくっと作ったドライカレー。青物が無かったので、ジャガイモを合わせて。
クミンとナツメッグがあったので、少しいれてスパイシーに。
十八穀米のドライカレーも結構おいしいですよ。

【関連記事】
■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■渋谷区代官山 猿楽塚(猿楽塚古墳 猿楽神社)と鎌倉街道 中道
■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
■鎌倉街道 中道 並木橋
■板橋区赤塚 鎌倉古道
■板橋区新河岸三丁目 早瀬前遺跡 鎌倉街道 早瀬の渡し
■鎌倉街道 中道 北区中十条

■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道
■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)

■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>

■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標 ※2020年8月27日加筆

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