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2021 1/15 『谷端川(千川・小石川・礫川) 猫又坂(猫貍坂、猫股坂)と猫又橋』

地図のピン部分に、かつて千川に架かっていた猫又橋の親柱の袖石が保存されている。
地図2枚目、1917〜1924年の地図の赤丸部分がこの猫又橋。
一番下の古い写真に写るのが猫又橋だという。
下流域なので、水量も多いようにみえる。

川のそばには銭湯やクリーニング屋、印刷屋や染物屋が集ることがよく知られているように、この谷端川(千川)のこの近辺にも共同印刷や染物屋がある。

この猫又坂を白山通り方面へと上っていくと、右手に千石緑地があり、左手には江戸橋通りがあり、立派な出桁造りのお米屋さんがある。
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案内板から引用ーーーーーーーーーーーーー
猫又坂(猫貍坂、猫股坂)

不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。
現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる猫又橋につながっていた。
この今はない猫又橋にちなむ坂名である。
また、『続江戸砂子』には次のような話がのこっている。
むかし、この辺に狸がいて、夜な夜な赤手拭をかぶって踊るという話があった。
ある時、若い僧が、食事に招かれての帰り、夕暮れどき、すすきの茂る中を、白い獣が迫ってくるので、すわっ、狸かと、あわてて逃げて千川にはまった。そこから、狸橋、猫貍橋、猫又橋と呼ばれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。

文京区教育委員会 平成11年3月
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案内板から引用ーーーーーーーーーーーーー
猫又橋 親柱の袖石

この坂にもと千川(小石川とも)が流れていた。
むかし、木の根っ子の股で橋をかけたので、根子股橋と呼ばれた。
江戸の古い橋で、伝説的に有名であった。
このあたりに、狸がいて、夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。
ある夕暮れ時、大塚辺の道心者(少年僧)がこの橋の近くに来ると、草の茂みの中を白い獣が迫ってくるのえ、すわ狸かとあわてて逃げて千川にはまった。
それから、この橋は、猫貍橋・(猫又橋)といわれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。
昭和のはじめまでは、この川でどじょうを取り、ホタルを追って稲田(千川たんぼ)に落ちたなど、古老がのどかな田園風景を語っている。
大正7年3月、この橋は立派な石を用いたコンクリート造となった。
ところが、千川はたびたび増水して大きな水害をおこした。
それで昭和9年千川は暗渠になり道路の下を通るようになった。
石造りの猫又橋は撤去されたが、地元の故市川虎之助氏(改修工事相談役)はその親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。
ここにあるのは、袖石の内2基で、千川名残りの猫又橋を伝える記念すべきものである。なお、袖石に刻まれた歌は故市川虎之助氏の作で、同氏が刻んだものである。

騒がしき蛙は土に埋もれぬ 人にしあれば 如何に恨まん

文京区教育委員会 昭和58年1月
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今から50年ほど前の本から。
『生きている江戸の歴史 東京の坂道 石川悌二』より引用ーーー

猫股坂(ねこまたざか)
氷川坂の西方、千石二、三丁目境を窪町通りへ下る坂で、旧都電通りの東わき崖のふちの細い通路をなって残っている。
この坂下は祗園橋の上流にかけられた猫股橋があったといわれ、そのへんは野草が生い茂ったもの淋しいところなので猫股(妖怪の一種)が出るとこわがられ、「続江戸砂子」は「いつごろか大塚辺にて愚かなる道心者ありしが、巣鴨の辺に非常に招かれ、帰るさの道もせ薄かるかやのいとさびしきたそがれ、あとより白き獣の追ひ来るを、すわやかの狸よと息をかぎりに逃しが、此川に入て身のさま水にひたし、からうじて庵に帰り、愚僧こそ今宵かの物語の狸に逢たりと語る。」と記している。
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地域史を知るにつれて、狸や狐にまつわる言い伝えが本当に多いことがわかる。蛇も多いですね。

※写真はだいぶ昔に撮ったもの。

※一番下:江戸の花名勝会 ね 九番組 市の川市蔵/巣鴨氷川下猫又橋/氷川下 (2021年5月4日 追加)

※千石さかみち部〜第1回 猫又坂 その1〜:大正7年に造成されたアーチ状の猫又橋 Link

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2021 1/13 『北区中十条3(東十条駅北口) 石神井坂』

地図の黒丸部分、東十条駅への跨線橋のアプローチが石神井坂という。
跨線橋(歩道橋)を坂道というのは無理がある。
このアプローチの横に線路脇(低地)に下る坂道があり、こちらが昔の石神井坂という。(写真一枚目、たぬきという飲食店の横が坂道となる。5〜7年位前の写真。)
かつては低地(農地)と武蔵野台地、日光御成道(岩槻街道)をむすぶ重要な古い坂道だったという。
石神井川は少し離れているが、なぜこの坂は石神井坂と名付けられたのだろうか。

この石神井坂(跨線橋と階段)の階段脇と低地の北口入口に、ようやく自転車搭載可能EVが設置されたことにより、北口を利用する人々にとってとても便利になった。
エスカレーターを使えばよろしいのに、 健常者であろう面倒くさがりやが、車椅子利用者や乳母車使用者をそっちのけで乗り込む光景を何回もみたことがあり、自分も嫌な経験をしたことがある。
こういうことはどこでも良くあるが、とても残念ですね。

ちなみに、この石神井坂の階段は蹴上げ(階段の各々の高さ)の高さがまちまちだったりするので、昇降する度に違和感を憶える。
また、個人的なことだが、この石神井坂を通るととても大変な経験をしたこと、疲労困憊、辛い事や悲しい事、逆に少し嬉しかったことを思い出す。
なので、今はあまり通りたくない(坂)道のひとつとなった。

※“北区の坂”から引用させていただきました。

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2021 1/4 『石神井川 音無こぶし緑地の豊富な湧水 カラッカラ乾燥の都内』

新年おめでとうございます。
友や親族、元気なお便りをいただいて嬉しいかぎりです。

さて、怒濤の年末年始を過ごして少しお疲れ気味ですが、日々のジョグがとても心地がよい。最近はアベレージで60km/月くらい。
三ヶ日も変わらずに走ったけど、多くのジョガーとすれ違った。
考えていることや気持ちは同じなんでしょうね。

2日の日に久しぶりに音無こぶし緑地の湧水を覗いてみた。
こんなにも乾燥続きでカラカラな都内ですが、崖から変わらずにトクトクと流れ出ていた。本当に豊富な湧水なんですね。
深く削った石神井川に落せば滝のような姿になるなといつも思う。

見ているととても心地が良いし元気をもらえるような感覚。
かつての人々も水を求めてそばに居住していた、ヒトとしての根本を実感できます。大げさですかね。

※ 湧水の映像はこちら(mp4、28.3MB、720×1280)

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