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2015 12/30 『ありがとうございました』

クリスマス、まっすぐに続く旧街道を歩いていたら道の真ん中向こうの空に満月が昇っていて幻想的だった。
かつて街道を行き来していた30何年か前の近所の人も、もっと昔の旅人も同じ光景を見ていたんだなとふと思った。

ハイチオールC+、飲む前に飲むとけっこう効きますね。

今年もアクセスありがとうございました。

年始は1/5から。

良いお年をお迎えください。

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2015 12/25 『スケート祓い』

日曜日の朝、半年ぶりにスケートの練習をした。
楽しくすべるというよりも身体がうまいこと言うことを聞いてくれないので、もうコケないように必死にひたすら同じことをくり返すことをしている。
すると身体が徐々に動いてきてくれるもすぐに筋肉がスロウになって動かなくなる...休憩してまた同じことをくり返す。
だからこん時は楽しいというよりも悔しいという気持ちになった。
まぁしょうがないんだけど....
ムリはしない。
一発だけスパンと高いオーリーができた。
デッキが脚に吸い付いてきてくれる、あの感触、とてもいいものです。
高さは40cmくらいだろうと思う。
ずぶ濡れでフィニッシュ。
練習、そう思ってすべるのも結構好き、スケート道。
もうちょいまた慣れればめちゃくちゃ楽しいと思えるだろう。
この5年くらいでの老いの自覚、10年前にすべっていた感触、感覚は遠いものになってしまった。
ま、そんなものだけど。
スポットビルト(サッカニーの前身)のシューズ、シューレースも切れそうなのがなんともいい気持ち。13歳の頃のあの気持ちと同じ。

スケート後は年越しの大祓を。
前は家族みんなの分も勝手にしてたけど、なんせ人形の数がえらい枚数になってしまうので、近頃は3人分だけ。
けがれてしまいまくり。
で、みな健康でありますように。

スケートと大祓で心身共にすっとした日曜日だった。

メリークリスマス
赤ん坊だった頃、自分はイエス・キリストとシスター、施設の皆様に一時期育ててもらっていた。その間に年子の弟は天に帰った。
弟の死との引き換えに僕ら家族3人が生きることができた。
この時季、生と死、嬉しさと悲しさが同居している心に気づく。
イエス・キリストとシスター、施設の皆様、そして弟には心から感謝している。
自分はこれからも宗教を持つことはないと思うが、これからも毎日手をあわせる、ただそれだけだ。

そういえば、サーティーワンだっただろうか、アイスのケーキを家族3人で仲良く突っついて食べてたな。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用
■HIDDEN CHAMPION #71 <HITOTZUKI -KAMI->@UNIque 恵比寿西
■新プロジェクトX スケートボード 頂点へ“日陰者”たちの逆転劇 <スケートボードは日本のお家芸>

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2015 12/24 『文京区本駒込 吉祥寺 榎本武揚墓所から高林寺 緒方洪庵墓所へ』

幕末が好きな人にはお馴染みの榎本武揚(幕末・明治の幕臣・政治家・子爵)の墓所は歴代の徳川将軍が日光に参拝するために整備された日光御成街道(本郷通り)に面した吉祥寺にある。場所は本駒込。
中央線の吉祥寺はこの吉祥寺が由来。
かつて水道橋にあった吉祥寺は明暦の大火でこの本駒込へと移転し、門前町の住人が現在の吉祥寺周辺を開拓し移り住み、愛着を持っていたので吉祥寺と名付けたという。

榎本武揚はなんとかなりのエリート。
語学に優れ、なんと七ヶ国語も話せたとも言われています。
さまざまな国をめぐり機械学から最新化学までありとあらゆることを学び、そして日本の未来に役立てようとした榎本。
しかし、当時将軍の徳川慶喜が大政奉還。
さらに薩長が倒幕をかかげ幕府を脅かしてゆきます。
その中の一人が黒田清隆でした。
黒田は西郷隆盛、大久保利通など幕末の志士が多く集まった下鍛冶屋町付近で生まれました。
西郷を兄と慕っていた黒田は旧幕府を追い込んでゆきます。
そしてたどり着いた蝦夷共和国で榎本武揚と黒田清隆は出会います。

旧幕府最後の砦、蝦夷共和国。フランス行使ブリュネのおかげで榎本率いる旧幕府軍は新政府軍との戦いに挑みます。
しかし、すでに旧幕府軍の生き残った数はのこりわずか…そのとき榎本はある行動に出ます。
それは榎本が肌身離さずもっていた海律全書です。
前頁オランダ語で書かれた本をなんと新政府軍に送ったのです。
「自分が死んでもこれからの日本のためにこれは必要だ」
しかしこれをみた新政府軍は驚きます。
これほどの学識をもった人をここで殺してしまうのは間違っているのでは・・・
そこで黒田清隆はござをしき、マグロやするめ、そして酒を用意し榎本武揚との会談に臨みます。
そして榎本武揚は自分を殺し、ほかの者を助けてほしいと黒田にお願いします。
「榎本さんこそこれからの時代に必要な人物。その命私がすくいもんそう」そして榎本は降伏を受け入れ江戸時代にピリオドがうたれたのです。

榎本は黒田のおかげで新政府の一員となります。
そして当時日本が抱えていた外交問題を得意な外国語で日本を救ったのです。
さらに黒田清隆が第2代総理大臣の座に上り詰めたとき支えたのはいくつもの大臣を歴任した榎本でした。
さらに明治32年には榎本の息子と黒田の娘が結婚。二人の交友は、ついに血縁関係にまで発展したのです。via
箱館戦争で五稜郭に入り新選組の土方歳三らと闘ったのは有名ですね。

吉祥寺にいた巨大なネコ...目があって呼ぶとやってきた。
かわいいのうかわいいのうといじくり倒していたら、顔に飛込もうとしてきた。
たぶん腹が相当減っていたのだろう。
しかしすごいボディだ。
ちなみに、吉祥寺には二宮尊徳のお墓もある。

後にして吉祥寺の近所にある高林寺へ、ここは緒方洪庵の墓所。

緒方洪庵:日本の武士・足守藩士、医師、蘭学者でもあります。大坂に適塾を開き、優秀な人材を多く育てました。
天然痘やコレラの治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれています。via
1838年、大坂に蘭学塾(適塾)を開いて、多くの門人を育てた。適塾からは明治に活躍した多くの人材(大村益次郎、福沢諭吉、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介、長与専斎、高松凌雲、池田謙斎など)を輩出した。via

Running 11.64km 1時間08分39秒 (05'53 /km)

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2015 12/18 『ふと...』

1−2ヶ月前....
ふと寄った池袋西口パークで金粉ショウを見かけた。
すごい迫力だった。
すごく小さいパンツを履いていた。
至近距離から望遠レンズで狙われて、お手入れはたいへんだろうなとふと思った。
ふと思いだしたことがあった。
このパークは整備される前、今から30年弱前にぼくらはここでもスケートしてたんだと。ギャラリーもたくさんいて歓声や拍手に、もっと巧くなりたいなと思ったんだよなと。
朝JOGする時、ふと立ち寄るこのパーク、様々な人間模様をみる。
このパークは昔から様々な出来事があったなとふと思いだした。
もうちょい前にはここには闇市が広がっていたんだよな、そう言えば。

ふと足が向くところがある。
それは池袋の隣村の雑司ヶ谷、鬼子母神。
境内に樹齢700年くらいだろうと言われている大銀杏がある。
写真では伝わりにくいが、本当に巨木なのだ。
都の天然記念物に指定されていて冊に囲まれている。
木に触れると子供が授かるということから“子授けイチョウ”ともよばれていて、鬼子母神は安産・子安の神様。
ご縁のある王子、板橋宿そして雑司ヶ谷は一本の道でつながっている。
鬼子母神を後にして向う先は護国寺、神田川が削った谷に下ったり上ったりたいへんなんだけど、このコースってほんと気持ちがいいのです。

ランニングコースで立ち寄る鬼子母神、ふと思った、なぜか足が向く、なんでだろうと。
ふと思いだすことがある。
生まれてこれなかった年子の弟。
彼はなにをしたかったのかな。
いや、何をしたいのかと。
二人で生きていると思って今まで生きてきたから。

二。

長男なのに二、いいんですそれで。

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2015 12/17 『100冊』

芥川賞受賞作家又吉さんが、会見でがんばって100冊読んでみて、すると絶対に本好きになると思うんで...と言っていた。
小説の類いの本は子供の頃から今から9年ほど前までほとんど読んでこなかった。記憶にあるのは赤川次郎数冊に星新一数冊、そんなもんだ。
旅行中に時間があったので東野圭吾作品をしかたなく読みはじめて、あまりのおもしろさにどっぷりと漬かり読みあさった。
それからというもの様々な作品を次々と読み、本っておもしろいと中年になってから学んだ。人それぞれ、いいんですそれで。
それまでは専門書やバイク、カルチャー、ファッション雑誌くらいなもんでしたから、読書と言えば。
最近になってだいぶ読むスピードが上がってきたのもおもしろい。
どうだろう、とっくのとうに100冊は越えているが、どのくらい読んだのだろうか....いつの間にかに“読書好き”な人になっていて、気が合う作家に会うと、心が弾んでいて自分でもびっくりだ。
作家のあたまん中はどうなっているんだろうと心底思う。
さて、知らないことだらけなんで、最近知った辻村さん、ウィキで直木賞作家のページからチェック、さっそく読んでみると、とてもおもしろい。テクニックにも感心...涙も流れた。

本は手元になるべくおいときたくないので、近くにある図書館が大活躍。
3つの区に渡って借りられるのも良いもんです。

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2015 12/16 『アパレルとスケートとランニング <原宿HECTIC PKGのシャカパン 四半世紀を経て介護用に役にたつ>』

今から20年ちょい前、裏原宿とかいわれ出した頃に友達がお店を開いた。
米国のスケートブランドを買い付けに行き店頭に並べていた。
ブランドはZoo Yorkやkinkyなどで、しばらくしてオリジナルブランドも展開していった。いわゆる裏のメインストリートの路面店だったので6畳ほどの店内でも家賃がかなり高かったと記憶している。自分はお店のデザインなどをさせてもらっていた。
そんな当時、ショップ関係者らが宣伝を兼ねてこぞって履いていたのがPKGというブランドのシャカシャカパンツだった。これはHECTICのディレクターでプロスケーターの江川さんのオリジナルブランドだ。(真柄さんだったかも)
via いまさらだけど「服づくり」を語る。
知っている方には懐かしい商品ではないだろうか。Punch Kick Guard、パンチ キック ガードの頭文字だと、くれた友が言ってた。
車両に乗る時のオーバーパンツとしても活躍、ミドルエイジに突入し、健康管理としてたばこをやめてランニングしはじめたその年の冬にはこのシャカパンを履いて4km〜6kmとゆっくりゆっくりジョグをしていたのをviaの記事で思いだした。
型から入らないタイプなのでランニング専用ではないこれもいいものだったし、シューズはエアモックテキスタイルといういでたちだ。
最近ではヴィンテージキング(古着屋)も復活したり、再び熱を帯びてきているのだろうか。
スケートもまた盛り上がってきているようだし、復活して滑りはじめた中年スケーターもちらほらいるという。中年になってかつてを懐かしみ、旧車を手に入れてカスタムし走り回る人と同じ感覚だと思う。
ガラガラガーバッタン!ガリガリガリ、バタン!とうるさいように週末の晩や土日の朝晩に爆音を轟かせて首都高を走るのとそれも同じようなことだろう。なるべく静かにとソフトなウィール(スケートボードのタイヤ)を履かせているが、トリックをするとやはりそれでも音はするので...

今年の秋は長かったし、暖冬のようで、日中だとクール素材のカモフラ3/4タイツで十分だ。ちなみにショーツは海パンだ。
ザッザッとかバタバタッとか足音が大きいランナーは運動効率がよくない脚運びだと聞いたことがある。音がする=抵抗があるということなのだろう。
スケートボードのウィールも路面状態によって変えるわけだが、ぴったり合っているととても静かに抵抗なく進む。ぜんぜんシューズ音がしないランナーと同じように効率がいいということだ。
シューズは空気圧も含めた車両のタイヤのようなもので、それぞれの脚や速度によってまったく違うものになる。
自分はランニングで疲れてくるとバタバタしがちになるので、そんな時は家から遠かったりすると、ランニングを止めて一杯飲んで電車で帰ってくることも多々ある。それも一興。
そんなこともスケートやバイクやランニングが似ているトコでもある。

2024年4月16日追記:脚が悪く車椅子生活になった母にPKG を穿かせて、大学病院などへ連れて行った時に度々重宝した。大きめサイズでモモまで穿きやすくて意外と暖かいから、母が「これ、暖かくていいね」と言っていた。四半世紀を経てとても役に立った。 

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2015 12/15 『お手入れ』

たぶん9年ぶりくらいにライダースの手入れをした。
車両に乗る時はもっぱらブルゾンやpatagoniaのシェルジャケット、軽いフェイクレザーにウインドブレーカーなどを組み合わせて着ることがほとんどで、重く感じるレザーはほとんど着ていなかった。
前のポケットを掃除したらかっちかちのビーフジャーキーが、サイドのポッケからはマルボロ赤の吸い殻が出てきた。時代をさかのぼって思いだすと...おそらく20年ちかく前のものだと思われる。
このライダースは618というモデルで、革はカウハイドと言って生後2年前後の出産経験のあるメス牛の皮を使っていて、やわらかいのが特徴でタウンユース的なモデル。硬くないので着やすい。
二の腕部分が4cm×4cmほど破けているのは、トライアルバイクでハングオンしてコーナーを攻めた時にすっころんで地面のコンクリートにひっかけたからだ。裏からボンドで革を当てて補修。
買ったのは約四半世紀前で、サイズは38、今となっては逆に大きくて、ジャストサイズだと36か34あたりだろうと思う。ランニングの影響で高校生の頃よりも今の方が痩せている。
親知らずの神経奪取による痛み止めクスリ...親知らずは上下ギリうまいこと生えていて、取らない方向でお手入れをしている。
そして木のテーブルのお手入れはコンディションによって年に何回かブライワックスでぬりぬりして、ウエスはでろんでろんに伸びたサーマル。
年季の入ったスクレイパーが我の誇りだ。
うちにある道具や工具で家のことの大部分をお手入れすることができる。
スケーターやバイク乗りは以外と見かけによらず手先の器用な人が多かったりする。

加齢による身体のあちこちの痛み....イテテッ、身体のお手入れもぐっと必要になってきている。9年前、もし身体のことを気にかけずに体質改善に取り組んでいなければほんと死んでいたかもしれないと思う。

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2015 12/10 『とっておく方』

自分が通っている美容室は恵比寿と代官山の中間にある。
以前は原宿、現在の表参道ヒルズの真裏にあったが、開発によって移転を余儀なくされた。
かれこれ20年近くちょきちょきしてもらっていることになる。
オーナーはスケーターで今でも週に2回くらいはパークなどで滑っていて、ボクら世代のちょい上の先輩スケーターとして顔の広い方だ...歴は30年くらいはいっていることだろう。
彼にデッキは取っておく方かとっとと捨てる方かを聞いたら、前者だと言っていてなんと50枚以上はあると、で、個展したら見どころ満載でおもしろいかもねと、そんな話になった。
自分もデッキは捨てないで取っておく方なので、7枚ある。そのなかでコンプリート(滑れる状態のもの)が3つ.....かつての生活の一部、自分の一部のような感覚があるので取っているとも言える。

物が多いのっていろいろと窮屈に感じるのでなるべく物には固執しないで処分するようにしているが、スケートボードと同じような感覚があるランニングシューズも取ってある。
全部で6足だ。
走っている割にはたぶん少ない方かなと思うも、周りにランナーがほとんどいないので分らないが。
3−4足あると履きまわせるので、寿命が長いということもあるのだろう。
上の黒いシューズが初めてので、順に下のが新しいものでVAZEE RUSHというモデル。自分のような健康管理的に走っている人にはちょうどいい製品。
つま先がけっこう上がっているので、足さばきがよくて走りやすいのが特徴だ。個人的にはヒールのホールド感がもうちょいあった方がいいな。
ちょこちょこ激しい運動にも向いているようで、フィットネスランナーからレースまで対応できるようだが、どうだろうか。

ソールの状態がよくないからランニングするには向かないシューズもあり、普段履きでは十分なのでなかなか処分できないというのもあるが、捨てにくいものだ。

スケートボードで走る、自転車で走る、バイクで走る、ランニングシューズで走る.....ツールをどれにしようかとチョイスする感じ、精神的に気持ちがいいしやっぱり共通要素があってどれもいいものです。

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2015 12/1 『下町ロケット2』

さすがの直木賞作家、下町ロケットは一気読みだった。
ドラマをやるというので見てたら、展開がとても早くて、最近のドラマはいつのまにかこんなにはやくなったのかと....それともたまたまか??
すぐ2の本を読もうと思うも、すぐドラマ2が始まり10Pくらい読んで追い越され...
読むのをやめた...なんとも後味が悪い感じだ。

話題になっているだけあっておもしろい。