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2022 9/9 #1『NIKE PRO 70%OFFのタイツ』

前に1本買って、生地も丈夫で厚めで調子が良くて気に入っているNIKEの運動用のタイツが、クリアランスセールでなんと70%OFFになったので2本購入。
こういうのは消耗品だからいくつか持っていてもいい。
しかし在庫処分で6050円(税込)が1815円(税込)って、もう定価で買うことはないような。
ポチッとした後、セール開始2分後くらいに商品ページをみたら、売り切れだったので狙っている人が多かったのだろう。半額のタイツも全サイズ、数十分で完売していた。

昔からだけども、必要なものや欲しかったものがとにかくよく安く買えたり、ほぼただ状態で買えたり、貰えたりするのも何か不思議なんですよね。なんでだろう。7月にも、1万くらいする薄手のランニング用ウインドブレーカーが1000円で買えたりもした。
ありがたいことです。

【関連記事】
■NIKE <Dri-FIT UV チャレンジャー ハイブリッド ランニングパンツ>と<GYAKUSOU GIRA[NIKE×UNDERCOVER]>

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2022 9/6 『古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”』

地図の灰色の線が古道で長崎道(ながさきみち)と言われている。

いたばしの地名より<長崎道(ながさきみち)>引用ーーーー

長崎から来て高松、南町を通り熊野町三番地の中丸橋を渡り雑司ヶ谷道に入り板橋宿へ行く道です。
幕末頃長崎より板橋の遊郭等へ通う夜道で昔の唄に「思い中丸たんぼを行きて、帰り寒しい金井窪」という流行歌もあったといいます。又江戸期南町の大辻付近より長崎へ行く道は曲がりくねっていたという。或る代官が長崎方面から馬で巡視に来て畑の中を真っすぐつっきり、大辻迄来たときに「長崎高松これ迄か」と言ったので道は真っ直ぐになったと伝承されています。(南町の荒井広祐氏説)
※長崎神社方面へ行き来する道で、椎名町駅前にある長崎神社手前で、椎名町道と合流する。

いたばしの古道より<長橋道(ながはしどう)>
町時代の府費補助道で「板橋間道」を「境橋」の手前で別れ、中丸の熊野神社前を通り、谷端川に沿い現南町を過ぎて豊島区長崎の東部を経て旧清戸道に至る。
板橋区域内の延長は凡そ572間(約1030m)、道幅2間(約3.6m)で曽ては人家の乏しい田圃道であった。
長崎村の若者たちが農事を終え板橋遊郭へ通う夜道でもあった。次の唄はその事情がしのばれる。◯思い中丸田圃を行って帰りさむしい金井窪、現在は「山手通り環状6号」で大方は昔の姿を消している。
※長橋は長崎と間違えているのではないかと思う。
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わきみず通りを越えて、長崎道(えびす通り)はほぼ直角に曲がり、しばらく進むと右手に、トタン・サイディング貼りになっているが立派な出桁造りの商家が建っている。その先は山手通りと合流し、かつてこの交差点は<大辻>と呼ばれていて、南町の庚申塔(大辻の庚申塔)が大切に祀られている。

案内板から引用ーーーーーーーーーーーーーー
庚申尊の由来

風雪に耐え、天変地異にも耐えてきた路傍の庚申塔は、寿院境内にあるのと違い、経も上げて貰えなくとも地元の人々を守って来たものです。
この庚申塔は、今を去る約二百七十年の昔、宝永五年十月、武蔵国豊島郡板橋村の大ホの下に安置され、土地の者や遠隔の人々多数参詣されたとされております。
庚申塔の正面に刻んである青面金剛は、六臂の像であり、見ざる聞かざる言わざるの三猿を従えて立つ破邪顕正を、本願とする凛々しい御姿であります。又、右に日左に月、ニワトリ雌雄一対が刻まれております。庚申信仰は庚申待と言って、六十日毎にめぐり来る庚申(かのえさる)の日に村人達が、講元の家に集まり、佛家では帝釋天及び青面金剛を神道では猿田彦神を祀り、庚申さまの掛軸の前で、ひと晩中庚申の真言や般若心経を唱えて夜を明かし、一番どりが鳴くのを待って解散した、と言う祭りであったとされています。
この庚申塔は、大勢の人々や地域の守護神であります。大切に祀り、保存し、子孫に伝えて行きたいと思います。

昭和四十九年七月
庚申通り商店会々長 酒井秀吉
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えびす通り商店街は、板橋区に近い方では庚申通り商店会と呼ばれている。

いたばしの地名より引用ーーーーーーーーーーーー
大辻

ここは池袋より北へ下ってきて谷端川を渡り山手通り(六環)につき当る所で、環六が開通する前は▽の形で長崎道と板橋へ左右に分れる三角地帯です。中丸村、長崎村、池袋村に接する大きな辻でした。辻は村の入口でもある村境でもあったので昔から正月十五日にはドンド焼きが行われていました。今、ハタボールになりその南角に宝永五(一七〇八)年の庚申塔を祀る御堂が建てられています。
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この先、長崎道は環状六号線(山手通り)に大部分が吸収されてしまっているが、熊野町の熊野神社付近から東武東上線の踏切付近まで現存している。
また、長崎道は熊野神社の先で、幸町のイイダ(スーパーマーケット)付近の湧水を源流とし、千川上水からも水を引いた谷端川の支流<中丸川>を越える。

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■古道<長崎道> 豊島区 えびす通り<庚申通り商店会>“高松一丁目〜板橋区南町 出桁造りと南町の庚申塔(大辻の庚申塔)”
■豊島区目白三・西池袋三 西武池袋線<V型 二股踏切> 廃止された長崎道踏切(古道 長崎道)と第二中里踏切
■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■池袋 四面塔尊 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 辻斬残骸 無縁仏の供養 
■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
■東京府北豊島郡金井窪村 今も残る金井窪村の痕跡

■古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道) 千川上水に架かる<かち橋>
■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
■板橋区仲町(旧 山中) 鎌倉街道沿い 徳川家康の乗馬のくつわを祀ったともいわれる轡神社
■鎌倉街道と新旧川越街道の交差点にある手押しポンプ(井戸水)

■危機感〜皇居へ 豊島区要町かなめちゃんの巨大な唐揚げ
■日曜朝一の皇居ランと月曜日のランチ大黒屋の海苔唐弁当 かなめちゃんの唐揚げ弁当

■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場

■千川上水の田留め水車と中丸川への分水口に祀られた庚申塔
■板橋区大山西町の用水路
■板橋区大山西町の名も無き川 用水路(千川上水からの分水 中丸川支流)

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2022 9/3 『古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“高松二丁目 わきみず通り<谷端川 高松小学校西隣支流跡>と庚申塔”』

地図の灰色の線が古道で長崎道(ながさきみち)と言われている。

いたばしの地名より<長崎道(ながさきみち)>引用ーーーー

長崎から来て高松、南町を通り熊野町三番地の中丸橋を渡り雑司ヶ谷道に入り板橋宿へ行く道です。
幕末頃長崎より板橋の遊郭等へ通う夜道で昔の唄に「思い中丸たんぼを行きて、帰り寒しい金井窪」という流行歌もあったといいます。又江戸期南町の大辻付近より長崎へ行く道は曲がりくねっていたという。或る代官が長崎方面から馬で巡視に来て畑の中を真っすぐつっきり、大辻迄来たときに「長崎高松これ迄か」と言ったので道は真っ直ぐになったと伝承されています。(南町の荒井広祐氏説)
※長崎神社方面へ行き来する道で、椎名町駅前にある長崎神社手前で、椎名町道と合流する。
※雑司ヶ谷道:古道で高田道、高田雑司ヶ谷道とも呼ばれる。

いたばしの古道より<長橋道(ながはしどう)>引用ーーーー
町時代の府費補助道で「板橋間道」を「境橋」の手前で別れ、中丸の熊野神社前を通り、谷端川に沿い現南町を過ぎて豊島区長崎の東部を経て旧清戸道に至る。
板橋区域内の延長は凡そ572間(約1030m)、道幅2間(約3.6m)で曽ては人家の乏しい田圃道であった。
長崎村の若者たちが農事を終え板橋遊郭へ通う夜道でもあった。次の唄はその事情がしのばれる。◯思い中丸田圃を行って帰りさむしい金井窪、現在は「山手通り環状6号」で大方は昔の姿を消している。
※長橋は長崎と間違えているのではないかと思う。
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地図の灰色丸部分、長崎道沿いの住宅に庚申塔がある。
庚申塔は享保六年(1722年)・笠付角柱型で風化はあまりせずにしっかりとした彫りが保たれていて、長い時を経て大切にされていることがよくわかる。
また、住宅の横の道は<わきみず通り>と呼ばれていて、かつては谷端川 高松小学校西隣支流だったが、現在は暗渠となった。

<生活と文化豊島区の湧き水をたずねて>から引用ーーーーー
高松小学校西隣 高松2-14
高松小学校の西隣に湧き水がでて、ほぼ東に流れて谷端川に注いでいた(菅野英雄氏談、1918年生)。小川には農家ごとの洗い場があり、野菜や農具を洗った。川幅は0.5〜1.5m位で、戦前まで使われたという。足のあるウナギの伝承(ウナギを獲ったり食べたりすると死ぬという)がある。現在は暗渠となり「わきみず通り」と呼ばれている。
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住宅前の長崎道にはかつて橋が架かっていたことだろう。名があったのか無名だったのかわからないが、庚申塔があることから、庚申橋と呼ばれていたとも考えられなくはない。
村の主要な道の小川のほとりに庚申塔があり、洗い場だったかもしれないこの場所に人々が寄り合って夜を明かしていた光景が浮かんでくる。

下から4−5枚目(明治四四年東京府北豊島郡板橋町地番地図)の地図、高松小学校西隣支流は地図の青丸部分の上ノ橋付近で谷端川に合流する。

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2022 9/1 『古道<長崎道> 豊島区 えびす通り“要町一丁目〜高松二丁目 出桁造りと延命地蔵尊 ”』

地図の灰色の線が古道で長崎道(ながさきみち)と言われている。

いたばしの地名より<長崎道(ながさきみち)>引用ーーーー

長崎から来て高松、南町を通り熊野町三番地の中丸橋を渡り雑司ヶ谷道に入り板橋宿へ行く道です。
幕末頃長崎より板橋の遊郭等へ通う夜道で昔の唄に「思い中丸たんぼを行きて、帰り寒しい金井窪」という流行歌もあったといいます。又江戸期南町の大辻付近より長崎へ行く道は曲がりくねっていたという。或る代官が長崎方面から馬で巡視に来て畑の中を真っすぐつっきり、大辻迄来たときに「長崎高松これ迄か」と言ったので道は真っ直ぐになったと伝承されています。(南町の荒井広祐氏説)
※長崎神社方面へ行き来する道で、椎名町駅前にある長崎神社手前で、椎名町道と合流する。
※雑司ヶ谷道:古道で高田道、高田雑司ヶ谷道とも呼ばれる。

いたばしの古道より<長橋道(ながはしどう)>引用ーーーー
町時代の府費補助道で「板橋間道」を「境橋」の手前で別れ、中丸の熊野神社前を通り、谷端川に沿い現南町を過ぎて豊島区長崎の東部を経て旧清戸道に至る。
板橋区域内の延長は凡そ572間(約1030m)、道幅2間(約3.6m)で曽ては人家の乏しい田圃道であった。
長崎村の若者たちが農事を終え板橋遊郭へ通う夜道でもあった。次の唄はその事情がしのばれる。◯思い中丸田圃を行って帰りさむしい金井窪、現在は「山手通り環状6号」で大方は昔の姿を消している。
※長橋は長崎と間違えているのではないかと思う。
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地図の矢印を下から追って、一番上の写真がえびす通り商店街でこの道が長崎道。幅員が狭くクネクネと曲がっていて、古道らしい良い雰囲気。
この長崎道沿いには出桁造りの商家がいくつか建っていて、当時からあまり変わっていないものもあれば、サイディング貼りになり改築されてコインランドリーとなっている。
また、地図の黒丸部分に延命地蔵尊があり大切にされている。

続く

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■谷端川 高田道沿い<子易神社境内 田楽橋の橋桁(板橋区板橋2丁目)>
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■板橋区仲町 轡神社近く 鎌倉街道沿いの庚申塔
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■谷端川跡 昔の粟島神社と祥雲寺坂下の洗い場

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