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2020 8/25 『王子十五滝 醸造試験所の滝』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことが分った。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

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醸造試験所は現在公園として開放されている。
醸造試験所を巻くようにして流れていたのが逆川で、これだけ蛇行しているということは、高低差がほとんどなかったため。
公園内を見渡しても、ここに滝が落ちていたとは想像すら出来ない。
下のA・B・Cの写真が逆川の流れの跡で、ここには滝は落ちていなかったのでないだろうか。
すぐ近くには千川上水の王子分水がひかれて、掛樋で石神井川を渡っていたが、この千川上水に落ちていたのだろうか....それも考えにくいかと思う。
他の滝が石神井川に落ちていたことを考えると、C地点の石神井川に合流するあたりが自然に思えるが、資料が全くないのでどうだろうか。
醸造試験所の滝は細かったとも思う。

旧醸造試験所第一工場(重要文化財)

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■王子七滝 名主の滝
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■王子七滝 王子 権現の滝
■音無川(石神井川) 音無渓谷 庶民が王子大滝と呼んだ王子大堰
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■古石神井川の支流 谷戸川(谷田川・愛染川)源流の長池跡
■谷田川に架かっていた橋の親柱(芥川龍之介墓所 慈眼寺)
■王子 上郷用水(石神井用水) 三本杉橋の親柱

■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2020 8/24 『北区滝野川 重吉稲荷神社と平尾一里塚の東側の小道にあった廻国塔』

一番上の地図の赤丸部分、国道17号(新中山道)沿いに豊重稲荷神社がある。
こじんまりしているが立派な姿。
鳥居は昭和四年に平尾(板橋一丁目)と鴻台(どこか不明)の住民より奉納されたと刻まれている。

北区の古い道とみちしるべより引用ーーーー

『中山道分間延絵図』には、平尾一里塚に沿って小道が描かれ、その東の道に、「村道是ヨリ王子稲荷?権現江道法二拾丁」と記し、下に「滝野川弁天江拾三丁 滝不動江拾八丁」と割り註されている。
ここに現在は国道十七号(中山道新道)沿いの重吉稲荷境内に移された廻国塔(寛政一0年<一七九八>が建っていたのであったが現在は不明である。
同塔に「これより たきの川べんてんたきふどう おふじ六阿弥陀せんちゆ(千住) みち」と道標銘が掘られている。

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上記のように、中山道(旧中山道)から分岐した古道(現 キツネ塚商店街)と平尾一里塚の交差点(地図2枚目の赤枠丸部分)にあった道標である廻国塔(写真一番下)が、この豊重稲荷神社の境内に移設されたそうだが、現在は行方不明になっている。新中山道開通工事の時だろうか。

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■加賀前田家下屋敷跡 〜江戸下屋敷平尾邸〜 裏御門通りと板橋一里塚(平尾一里塚)跡

北区の古い道とみちしるべより引用ーーーー

同塔に「これより たきの川べんてんたきふどう おふじ六阿弥陀せんちゆ(千住) みち」と道標銘が掘られている。この道筋をたどってみよう。
今はキツネ塚商店街となっている旧道を北へ進むと、この道は国道を横切って消防署出張所の横を東に入る。かつてこの辺に狐塚があった。
ゆるやかな坂道を下ると八幡神社(滝野川)に脇に出る『遊歴雑記』に十万庵敬順が「正に神池というべし」と讃えた神社の境内には今も古木が多い。
八幡神社から先は、幕府編集の『御府内(江戸)往還其外沿革図書』などの古地図を見ると縦横に道があり中山道はもとより日光御成道・王子道・六阿弥陀道等と結ばれていたようであるが、軍施設が拡張されるに伴い全く失われているが、滝野川の名所といわれた辺りに幾つかの道標が残っている。
岩屋(松橋)弁天を祀る紅葉寺(金剛寺)には、都電のガードレール工事の際に欠損を恐れて西巣鴨妙行寺前から移した、岩屋弁才天道と大書された板碑型庚申塔(貞享元年<一六八四>)や、「水きよき滝の川上たずね見よ南無阿弥陀仏と道のしるべに」という和歌を彫り、しかも表には「この石江はり礼皆無用」と刻んだ珍しい道標もある、これは千社礼講禁令の発せられた寛政十一年(一七九九)の前年に建てられたもので、その盛んだったことを裏付けている。
この道標に「たきふどう尊 まきのをくハん音」と示された正受院への途中の滝野川中学校裏には、表に「たきふどう」、横に「左べんてん道」と大書した道標が残っている。

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王子付近には古刹や神社、名所・名跡がたくさんあるので、この付近には古道がいくつも残っているのだろう。
古道を巡ってみるのも良いですね。

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■王子七滝 王子 権現の滝
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)<十条台遺跡群>
■王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝
■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”

■北区滝野川八幡通りにある出桁造り
■北区滝野川 御代の台仲通り商店街の出桁造り

■北区滝野川一丁目 千川上水 王子分水(鎌倉街道・千住道と一部重複)との三叉路にある庚申塔 王子七滝 松橋弁財天(岩屋弁天)への道標
■千川上水 王子分水沿い(千住道)にある出桁造り

■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道
■近藤勇と新選組隊士供養塔 平尾一里塚(板橋一里塚)跡と千川上水跡を越えたあたり
■北区滝野川6丁目 旧中山道と千川上水の間に祀られた馬頭観世音 板橋宿で捕らえられた千川の怪物(オオサンショウウオ)

■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 左甚五郎作の龍と加賀藩下屋敷の裏御門だった山門
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺 寛文の庚申塔と山門
■板橋宿平尾脇本陣豊田家 新撰組 近藤勇が幽閉された豊田家と次女トミとの語らい

■北区西ヶ原〜滝野川 道音坂(浅草道、中世は鎌倉街道)

■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線

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2020 8/22 『王子 飛鳥山 さくら新道 共同洗い場』

飛鳥山の麓に建物がいくつも連なっていた。
しかし、 何年か前に火災によりほとんどの建物が焼失してしまった。
一階は店舗で2階が住宅という造りになっていたようで、2階に住んでいた若い女性の失火が原因だったという。
大々的にニュースになったので、憶えている方も多いかと思う。

地図の四角く囲んだ部分に住宅が連なっていた。
その建物の中に、共同の洗い場があった。
なんだか懐かしい光景でとても気に入っていた。
しかし、火災によっておそらくもうこの水場もないように思われる。

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■国指定重要文化財(建造物) 旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫) 北区西ヶ原二-十六-一
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2020 8/20 『王子大坂と子育地蔵尊』

上郷用水(石神井用水)に架かる三本杉橋跡のふもとから、長い坂が台地へ向かって上っている。
その坂は“王子大坂”と呼ばれている。(地図の黒丸部分)

『生きている江戸の歴史 東京の坂道 石川悌二』より引用ーーーーーー
王子大坂

宇都布坂(うとう)、うつり坂、地蔵坂ともいう。
稲荷坂上から東方へ王子本町一番王子権現(王子神社)に向い、神社脇を音無橋へ下る坂路で、旧日光道にかかっていた。
「東京府志料」の王子村の条には「坂あり、うつり坂或は又宇都布坂とも云ふ、旧日光御成道にて王子神社の傍の坂さり。坂の下に三本杉と称し、三株の杉ありしが、二株は枯れたり。其の処用水堀に架す橋をも三本杉橋と称す。」とある。
宇都布坂の「ウトウ」はアイヌ語で突端とか出崎を意味し、また「ウツリ」は崖を意味する。
坂下の方が岸町で往古はそこまで河水が及んでいたのであろう。
三本杉は舟繋ぎの杉ともよばれていたというが、いまは王子駅をひかえる北区の中心部である。

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王子大坂の坂下、三本杉橋の親柱の向かいに子育地蔵尊が祀られている。
室町時代末期から大切にされてきたことがわかる。
徳川の歴代の将軍も日光への参拝の際に、この子育地蔵尊の前を通ったことだろう。

案内板から引用ーーーーーーーーーーー
王子の子育地蔵尊は、安山岩系の石を丸彫した、像の高さ一二二cmの石像菩薩立像です。
釈迦如来が没してから弥勒菩薩が出現するまでを、仏教では無仏時代と言いますが、地蔵菩薩は、この時代に人々を救済する菩薩と信じられてきました。
当地蔵尊は、昭和二〇年(一九四五)四月一三・一四の空襲によって火を浴び、像の表面が剥落しているため、造立した年代や造立者はわかりません。
昭和三年(一九二八)一二月に出版された『王子町誌』によれば、子育地蔵尊は、同所にあった山本家の祖先が誓願して室町時代の末期。天文元年(一五三二)に建立安置し、当時の堂宇は元禄二年(一六八九)に改築したものだと記されています。
現存の像の造立年代を判断するには資料が不足していますが、同所で古くから地蔵尊が祀られていたことが推測されます。
また、その信仰については、「古来子育及商売繁盛の地蔵尊として信仰せられ、毎月四の日の縁日には参拝する者実に夥しく、縁日商人の露店は張るものも頗る多いので、その賑ひ真に筆紙の及ぶところでない」とあり、近代には子育地蔵として信仰を集めていたことが知られます。

お唱えする言葉
「おん かかか びさんまえい そわか」

※私有地に建っておりますので、お静かにお参り下さい。

平成二十八年二月
東京都北区教育委員会

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■北区中十条(東十条) 地蔵坂の子育地蔵尊と庚申塔

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2020 8/19 『王子七滝 王子稲荷神社 狐石像が置かれた滝』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことが分った。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

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“古写真はわたしたちに何を伝えるのか”展より引用

王子七滝の一つ、稲荷の滝を写した一枚。
近世以来、垢離場の滝として著名であった。
撮影年代の明治初期に近い浮世絵作品でこの滝を描いたものに、「俳優英雄王子の瀧催(豊原国周 元治元年(1864))がある。
当時、若手に属する役者たちを紹介する作品であるが、王子稲荷社の石段下にあった水垢離場の姿が描かれ、稲荷信仰の一端を示している。
写真でも、この浮世絵と同じ位置に狐像が配されていることが確認される。

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写真上から2枚目、これがかつて存在していた王子七滝のひとつである王子 稲荷の滝。
王子 権現の滝は消防ホースくらいの太さで流れ落ちていたそうだが、こちらは一般的なホースの太さくらいで落ちて、水量も豊富なこともわかる。
右手の階段にいるのは修行者だろうか。

■板橋区 赤塚不動の滝と大根

赤塚にある不動の滝はそれほど太くはないが、現在でも枯れることなく水が落ちている。(たまに枯れるようだが)

王子七滝のひとつである名主の滝は今でも見ることができるが、他の6つの滝は姿を消した。
今まで見ることができたのは、この稲荷の滝と不動の滝(正受院)だけなので、貴重な写真ですね。
2021年5月4日加筆しました。(一番下の錦絵)

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■石神井川 正受院 王子七滝 不動の滝跡(瀧不動の碑)
■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 王子 権現の滝
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■王子十五滝 現存するのは名主の滝のみ
■王子七滝 消滅した王子 稲荷の滝後の“稲荷の崖線湧水”と王子稲荷裏古墳の狐穴(横穴墓)

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■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”

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2020 8/18 『王子七滝 名主の滝公園の湧水』

北区王子付近にはかつて王子七滝と呼ばれた滝があった。
七滝とは、名主の滝・稲荷の滝・辨天の滝・不動の滝・権現の滝・見晴の滝・大工の滝で、現存するのは名主の滝のみとなっている。
いわゆる『王子七滝』は『東京名所図会』の内容をアピールするための手段だと、『王子七滝考』では書かれている。

7つ以外の滝にも触れており、また古地図などからも引用して地図に記載してみたら、15の滝があったことが分った。

1:権現の滝
2:王子大堰(王子大滝)
3:不動の滝
4:弁天の滝(辨天の滝)
5:稲荷の滝
6:名主の滝
7:見晴の滝
8:飴屋の滝
9:山本家の滝
10:大工の滝
11:醸造試験所の滝
12:湯滝
13:水滝(木滝)
14:桶勘の滝
15:末広の滝(扇屋の滝)

12『湯滝』と13『水滝(木滝)』は絵図に描かれているために正確な場所は不明(石神井川の流れに合わせるとこの付近)。
11『醸造試験所の滝』と14『桶勘の滝』は推定の位置で、11の醸造試験所の滝はかつての石神井川の名残である逆川沿いとも考えられるが、石神井川(音無川)沿いに落ちていた方が自然だと思う。

『見晴の滝』と『山本家の滝』は水量があったようだ。

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名主の滝公園の南側の出入口から入って行くとすぐ、地図の青丸付近に湧水がある。
名主の滝といえば、男滝が有名でわずかな湧水とポンプアップした水を流して滝を落していて、(現在、男滝の湧水は枯渇いているかもしれない)他にも滝があるが水を落していない。

上から3枚目、傾斜した地面からのわきだす湧水。
写真がぶれぶれで見にくいので、湧水の映像を。
(1280×720 30.4MB mp4 こちら

男滝の映像は下記。
(720×1280 12.5MB mp4 こちら
(720×1280 12.5MB mp4 こちら

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■石神井川 正受院裏 王子七滝 不動の滝跡(王子不動之瀧跡) 対岸は湯タキ・水タキ(湯滝・水滝)
■王子七滝 名主の滝
■王子七滝 王子 権現の滝
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■武蔵野台地東部(十条台地) 北区中十条3〜4丁目の湧水と清水坂

■王子稲荷の坂 旧中山道と王子稲荷道の分岐にあった“王子大明神 常夜灯”

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2020 8/17 『板橋区清水町 名もなき野川 旧中山道に架かっていた岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)』

旧中山道の石神井川に架かる板橋を越えて、長く続く岩の坂を上り、環七を渡った少し先に、かつて野川(ドブ溝)が旧中山道を横切り流れていた。
資料によって“野川”と“ドブ”という二つの表現があるが、これは時代の流れで、綺麗な水から次第に汚れてドブ(下水)に変わっていったことによるのだろうと思う。
この清水町の先は泉町になり、今は暗渠になって消滅した出井川の源泉があり、湧水量も豊富で、大山詣での人々はこの湧水で身を清めて向かった。

この野川の源泉はどこにあるのか不明だが、上から一枚目の地図(いたばしの古道より引用)、北西から南東へと流れているように描かれていることからも、自然の湧水がこの近くにあり、稲付川もしくは石神井川に注いでいたのではないだろうか。
出井川は新河岸川に注ぎ、この野川は稲付川もしくは石神井川に注いでいたとすると、この付近が分水嶺となる。

古地図などを調べてみたが、この水の流れはどこにも描かれていなかった。

いたばしの地名より引用ーーーーーーーーーーーー
岩道橋 龕灯橋

江戸時代、中山道を横切って野川が流れ、この上に石橋が架かっていました。
橋の傍に龕灯を置いて足元を照らしたことから土地の人は龕灯橋と呼んでいました。
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いたばしの古道より引用ーーーーーーーーーーーー
このあたりから、むかしの前野村清水に入る。
平坦な道を進むと、左から右へ小さな流れが横切る。
特に名もないドブ溝であったが、長さ一間、横二間の石橋が架けられてある。
御普請所が工事したもので、橋名を「岩道」(ガントウ)あるいは(ガンド)と言った。
岩道橋の先は少し曲がるが、右手に「日光御成道岩渕宿江出ル道法一里」となって台地を北区に向かっている、
清水38番地と39番地の間を流れる下水で、巾9尺、深さ4尺、小堀タバコ店主談によれば、ガンドウ(灯)をつけていたからだという。
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石橋:1間=約1.8m、2間=約3.6m
ドブ溝(野川):9尺=9×303mm=2727mm=約2.7m、4尺=4×303mm=1212mm=約1.2m

岩道橋(龕灯橋、ガンドウ)は思ったよりも大きい石橋で、野川も細い流れではないように思う。
名が付けられていないことから、短い流れだったのだろうか。

現在の地図の2つの黒丸の間に、この野川が流れていて、上から一枚目の地図(いたばしの古道より引用)、排水溝が二つ並んでいる写真を頼りに探してみたら、青丸部分に一ヶ所だけ排水溝の蓋が2つ並んでいた。
おそらく、ここがかつてなもなき野川が流れていた跡、そして岩道橋(龕灯橋・ガンドウ橋)跡だろうと思う。
建物に附属する門扉のような物の横に、開渠となっているこの野川が写されていて、現在の推定場所も排水溝の目の前が建物になっている点が共通。

この水の流れは追うことができないが、建物の後ろの建物の間から、痕跡のような円形の蓋を見ることができる。
使わなくなった井戸に蓋をする姿を見かけるように、そのような雰囲気でもあるがどうなのだろうか。(写真一番下)

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