Content
line
2024年1月 12|2月 123月 12
|4月 12

line
2023年1月2月3月|4月 12
|5月 12|6月 127月| 8月 12
9月|10月
12|11月 12 |12月 12
line
2022年1月 123|2月 12|3月 12
|4月 12|5月 12|6月 12|7月 12
|8月 12|9月 123|10月 1|11月 1
|12月 1

line
2021年1月 12|2月 123
|3月 123|4月 12|5月 123
|6月 123|7月 12 |8月 12
|9月 12|10月 12|11月 12
|12月 12

line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 123 |7月 123
|8月 1234|9月 123
|10月 123||11月 123
|12月
12
line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2022 5/27 『雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>』

地図の黒丸部分に大鳥神社があり、境内に弦巻川暗渠記念碑が建てられていて、その隣りに<江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス>の説明板が設置されている。

江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナスから引用ーーーーーーーーー
江戸時代、清戸坂の北側一体は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給地としてナスのほか、ダイコンや青菜などを生産していました。
とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやされていました。
ナスの栽培には、下肥(人糞尿)や馬糞が多く使われていました。
ナスはその用途が広いため需要も多くて、キュウリと並んで夏野菜のなかで重要な地位を占めていました。大正時代の中頃まで、伝統的栽培技術は引き継がれ、その後、年毎に早く収穫できる技術が開発されたことから、昭和の初めにはタネまきの最盛期は、2月15日前後となりました。
文献によると当時北豊島郡(現在の荒川・板橋・北・豊島・練馬の各区)におけるナスの作付け面積は、約200ヘクタールと記されています。

平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業
東京あおば農業協同組合
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
かつての江戸の北部、豊島郡では根菜類をたくさん栽培しており、その種を旧中山道沿いの種子屋が販売し、庚申塚〜滝野川〜板橋にかけて約20軒も連なっていたという。
明治通りと旧中山道の交差点[掘割]交差点そば大正大学にあるオープンエアの案内所・休憩所に説明板が掲げられていて、地図をみると方々で根菜類などを栽培していたことがわかる。
その中でも練馬ダイコンや滝野川ゴボウ・ニンジンは特に有名で、茄子も大変評判の良い味だったと紹介されている。
北区滝野川の近くの駒込は「一富士二鷹三茄子」の発祥の地でもある。
これらの根菜類は一部廃れてしまったようだが、復活すべく、栽培や広報活動をしていて、最近よく目にする機会がある。その一貫として、旧中山道は<種子屋(タネ)街道>だったことをあちらこちらでアピールしている。
滝野川・板橋付近では谷端川や石神井川とその用水(や千川上水)を利用し、雑司が谷(高田、長崎村)では弦巻川や谷端川(千川上水や神田上水)を利用して栽培していたのだろうか。

これらのクラシックなダイコン・ゴボウ・ニンジン・ナスをたっぷり使った出汁勝ちの豚汁を大量に作ってみたいものです。

【関連記事】
■旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道
■旧中山道<種子屋街道のあゆみ 滝野川三軒家の町並み 日本農林社のあゆみ>
■板橋区 赤塚不動の滝と大根
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通

■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
■雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>

■巣鴨遺跡 町屋跡
■巣鴨庚申塚 巣鴨遺跡
■巣鴨遺跡 柳沢弾正少弼の屋敷
■巣鴨薬園跡 <豊島市場>

■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■池袋 四面塔尊 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 辻斬残骸 無縁仏の供養 
■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)

■清戸道の名家

■駒込富士神社と古墳群

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
photo

2022 5/24 『雑司が谷 大鳥神社 <弦巻川暗渠記念碑>』

地図の黒丸部分に大鳥神社があり、すぐ横をかつて弦巻川が流れていた。
水質悪化などにより昭和初期に暗渠化され下水道となり川は消滅した。
その暗渠化を記念して、大鳥神社の境内に記念碑が建てられた。
腐食が進み判読出来ない箇所がいくつかもあるが、刻まれた文字を起こしてみた。(間違い部分もあると思うので参考程度に)

※豊島区区立郷土資料館<かたりべ104>の写真を引用させていただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
我高田町ハ近年非常ニ発展シ人口○○
五萬ニ達セリ是◯於テ公衆衛生ノ根本
的解決トシテ下水道築造◯業ヲ遂行ス
ルハ當然ノ要務ニシテ又◯ニ本町百年
ノ大計ナルヲ認◯昭和四年六月之◯施
設計書ヲ立テ同五年一月◯◯◯地調査
ヲナシ十月ニ至リ總ニ◯一百九十餘萬
圓六箇年繼續事業トシテ築道完成ス可
キ成案ヲ得其十四日高田町會ニ於テ満
場一致之ヲ可決セリ乃チ状ヲ具シテ官
ニ申請セシニ同十二月二十九日高田町
長ヲシテ本事業ヲ執行セシタル旨ノ内
務省告示アリ且失業救済事業トシテ行
◯可キ旨ヲ命セラレ翌年五月二十三日
一切ノ認可許可ヲ完了セリ依テ同六月
十七日起工ノ式ヲ◯ケ爾来孜孜トシテ
若者其工事ヲ進メツツアリ本事業ハ又
◯ニ本町道路網計書ト相待チテ其一部
◯達成ヲ期シタリ◯チ鶴巻道路日出道
路根津道路等其三○○○○トス以上ノ
工事一切完成スルニ至ラ◯本町民衆ノ
福利ヲ増進スルコト是ニ多大ナル可シ
弦ニ市郡併合ニ方○其傅概ヲ記シテ以
テ永永ニ傅フト云フ
昭和七年九月
高田町長海老澤了之介識
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
実物を見ても判読することが少し難しいので、Photoshopで補正をして文字を拾ってみました。
要約すると「人口が増えて弦巻川が汚れてしまい、民衆から暗渠化の声が上がり、失業者の雇用や様々な人々を雇い、工事が完成し道路となり、それを記念する」ということでしょうか。
悪水、汚水で川沿いの住民にとっては不衛生故に暗渠化工事完成がとても喜ばしいことだったのだろう。
※記念碑の拡大写真はこちら

上記、彫刻文字に<・・・鶴巻道路日出道
路根津道路等・・>とあり、弦巻道路は[現 弦巻通り]で、日出道は現 豊島区役所前を通る[旧 鎌倉街道]と思われる。根津道路は[現 不忍通り]だろうか。

【関連記事】
■池袋の川 弦巻川
■豊島区の100年 弦巻川 丸池跡
■豊島区の湧き水と池 <弦巻川の水源である丸池跡の元池袋公園の思い出>
■文京区目白台2 清土村 暗渠となった弦巻川にある自噴井戸
■清土鬼子母神堂 出現した鬼子母神像を洗い浄めたという三角形の井戸<星の清水(星の井)>
■池袋の川 水窪川 暗渠をぬけて
■今宮神社駐車場の湧水 (水窪川 小日向台の崖線) 
■水窪川の擁壁 小日向台の崖線から滲み出す水 八幡坂 江戸切絵図より
■水窪川が削った深い谷と階段 旧大塚坂下町(大塚五丁目)
■巣鴨プリズンの遺構 水窪川<排水口> イケ・サンパークに移設・復元)
■水窪川跡沿いにある家屋 日出優良商店会 <ミート&デリカ なりたや>の黒毛和牛入り一個五十円のメンチカツ
■水窪川 鳩山会館隣りの水路の遺構 今宮神社前に残る石橋(橋桁) 小日向台の崖からの湧き水
■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋

■雑司が谷 未来遺産 雑司が谷・高田と池袋本町と板橋宿をむすぶ高田道
■池袋 四面塔尊 池袋村 高田道<四ツ辻付近の追はぎや辻斬> 辻斬残骸 無縁仏の供養 
■中山道と川越街道起点の平尾追分 高田道と川越街道の四ツ又
■板橋区板橋2丁目高田道沿い 子易神社<胸突地蔵 別名身代わり地蔵> <狐山>と<高稲荷山>に住む狐と金井窪のきつね色の水
■板橋区板橋2丁目・大山金井町 高田道 金井窪の峠(高稲荷山の切通し)
■雑司ヶ谷 宣教師 マッケーレブ邸
■雑司ヶ谷 御鷹方御組屋敷道
■雑司が谷 大鳥神社 <江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス[山茄子]>と<旧中山道はタネ屋(種屋・種子屋 種苗)街道>

■旧鎌倉街道 中道編
■鎌倉街道 中道 西巣鴨〜西早稲田
■豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道

■根津神社の塞の大神碑と追分一里塚跡
■文京区根津の出桁造り

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
photo

2022 5/16 『護国寺 音羽富士塚(音羽富士)<富士浅間神社>』

地図の藤色丸部分、護国寺の境内に音羽富士塚がある。
都内には富士塚がいくつもあり、当時の富士信仰の人気を伺い知ることが出来る。
音羽富士塚の鳥居の前に橋が架かり、<富士道>と刻まれた道標があり、これから先は神聖な領域へと入って行く。実の富士の麓のような光景だろうか。
実際に音羽富士塚に登ってみたところ思ったよりも高さがあった。

【関連記事】
■護国寺惣門
■豊島岡墓地(豊島岡御陵)の蛇池から護国寺の湧水池に注いでいた水窪川支流に架けられた橋

■池袋富士塚と<谷端川>舌状台地に広がる池袋西貝塚(氷川神社裏貝塚)・池袋東貝塚
■十条冨士塚(冨士神社)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更)と補助83号線
■十条台古墳群 十条冨士塚(冨士神社)の再整備(現状変更) その後7月・10月と“おふじ道”
■富士塚古墳<十条冨士塚(冨士神社)> 調査後の現在の姿 鳥大の一個十円のチキンボール
■豊島長崎の富士塚
■下谷坂の富士塚 柳森稲荷神社の富士講関係石碑群
■駒込富士神社と古墳群

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。