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2014 9/30
『読書の秋.』

本が好きなのでいつの時季もだけど、最近読んで専門的だけど面白かったのは江戸東京・横浜の地形という本。
専門用語も多いのでなかなか難しいから時間がかかって、横浜はすっとばしたけど、十何万年かけて関東平野がどうやって作られてきたかがわかりました。
台地といっても淀橋台地や豊島台地や本郷台地の地質は異なる層があり、成り立ち作られ方はちがうというのも面白かった。
知らないことだらけで、衝撃的でもあったその関東平野の成り立ち....水の力はすごい。

日比谷は入り江だったことは言わずもがな有名ですね。
今から約800年前(鎌倉時代初期)に、入り江の環境から干潟の環境に変わり、約600年前(室町時代)以降は淡水の湿地に変わったという。
約400年前の16世紀末には日比谷入江は縮小し、南部をのぞいては湿地になっていったと。ちょうど徳川家康入府したあたりで、外壕を掘って川の流れを変えたり湿地を埋め立てていった。
江戸城の前は入り江で、銀座あたりは少し標高が高くて江戸前島という半島のような地形になっていて、銀座中央通りがちょうど半島の尾根にあたるという。
で、それよりもはるか昔の約7000年前の縄文海進の時(今よりも海水面が約2m高かったために海が内陸部まで入り込んでいた)はどこまでが海(入り江)だったのかを検証している。
とても専門的なので詳細は割愛しますが、地質調査から分っていることは、渋谷川・古川だと古川橋〜天現寺橋の間が入り江の限界だという。
神田川だと江戸川橋のちょいさきにある椿山荘あたりの駒塚橋が入り江の限界。
藍染川(かつての石神井川)だと千代田線の根津駅(不忍池のちょい先)〜千駄木駅の間が入り江の限界だという。

まったく興味がない人にはあれの本ですが....
地面を掘り起こしている現場をみるとついついのぞきこんでしまうようになった。
地面のことをよく理解して知っているときっと役立つことになるでしょう。

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2014 9/29
『音』

朝8時と夕方5時に規則正しくウワンウワンウワンーとはんぱない爆音を轟かせて過ぎ去る何台もの旧車二輪....排気音が響き渡る居間、会話する声もTVもまったく聞こえません。
ホットロッドカスタムショウが横浜で毎年開かれているけど、周辺の施設や居住者からのクレームが相次ぎ、今年からは二輪で来場禁止、周囲さえも通れないという。何百台ものバイクが殺到する会場、排気音が大きい車両も多いし、自慢の愛車ゆえにどうしてもアクセルをひねり気味になるのだろう。
二輪に乗らない方にはなかなか分らないかもしれないが、排気音込みで二輪はとても楽しい車両です。
しかし、排気音はただのうるさい迷惑な音にしか聞こえないという人も多いのは事実。自分はバイクが好きだけども、ただうるさいだけだなと思うこともかなりある....乗っている本人はいいんだけども、それもよくわかるだけになんだか。。

...週末にはあちこちの学校で運動会が開かれててワーワー賑やか、実に運動会日和でしたね。
日曜日の朝、爆音轟く居間で朝メシ食べて、天気がいいから昼は皇居へ...自転車を下ろすのがめんどいので、よく効くリアブレーキから超キーキー音をだすママチャリで。8年ちょい乗っていてタイヤはスリック気味になっているほど大活躍。あぶないけど。。
なかなか暑くて早めに切り上げようと2周の10km。
最初の2kmくらいはゆっくり目に1kmあたり6分くらいで。
いつもはばんばん抜かされるけど、調子がいい感じなので、1kmあたり5分を切るペースまでもっていって、自分にしてはかなり速め....ちょっとキツかったけど、気持ちよく終えて、さっさとまた漕いでリアからキーキー音だして帰路へ。

家の近くのストアでレモンサワー1本買って外呑みを....天気もいいしちょうどいい気温でなおうまい。
はやく戻ってすぐにメバチをづけにして....2時間かかる。
朝よりもはんぱない爆音が響き渡る居間、あっという間に完食。

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2014 9/25
『谷端川下水道幹線 SPR工法』

道路を掘りくり返して工事をしているのをよくみかけますね。
地中に埋めたインフラのメンテナンス、新設などさまざまです。
アスファルトを壊してひっぺがしてととても大変で、老朽化によって上水道の管に亀裂が入って水が噴き出して、そのコストがえらく大変で水道料金をあげなくてはならないところも多々あるという。

先日みかけて、なるほどなと思った下水道の工事。
今までだとアスファルトをひっぺがして管をまるごと交換というのが普通だったのだろうけど、このSPR工法は、既存の下水道管を交換するのではなく、硬質の塩ビの巻物を既存の管へとスルスルと入れ込んで、既存の管の中に螺旋状に組み上げて新しい下水管を作り、隙間を充填して完成。
下水を流したまま工事ができて、掘りくり返さないから時間も予算もかなり削減できるのだろう....早いでしょうね。
賞も受賞されているすばらしい工法。web
こちらの業界のことはあまり知りませんが、とても有名なのでしょうね。

かつては人々に恵みを与えてくれていた身近な今は消えた川...
宅地開発によって生活雑排水・汚水が川に流れ込み、異臭を放って汚れる川...
大雨が降ると氾濫して床上床下浸水...
水神様はいつしか邪魔者となり、川に蓋をされて暗渠となり下水道になった。
そんな川が身近にたくさんある。
下水道へと姿を変えてもなお人々の生活を守る神様。
水神様の化粧直しの優しいSPR工法、良いですね。
消滅した好きな川がきれいになりました。

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2014 9/24
『新選組 沖田総司 逝去の地と玉川上水余水吐』

新宿御苑の横、外苑西通りに大京町の交番がある。
その横っちょに新選組 沖田総司逝去の地の案内板がつけられた。

肺結核を患って戦線離脱し、幕府の医師である松本良順によって、かつてここらへんにあった植木屋さんの屋敷で匿われて療養していたという。
幕府の医師である松本良順は近藤勇とも親交があったので、新選組の隊士らを診ていたと。
ラッパのマーク正露丸、今までいったい何粒摂取したのだろうか....
征露丸のロゴマークには松本良順の顔写真が使われていると。via

そんな内藤町と大京町...
サインにも書かれているが、この鬱蒼としたグリーンベルトはかつて江戸まで上水を供給していた玉川上水の一部で、上水の余剰水をこの先に流れていた穏田川(渋谷川)に流していたという....その名も余水吐(よすいばき)。
新宿御苑のところを甲州街道に沿って流れて、四谷の交差点あたりが玉川上水の終点だったという....多摩川の恩恵。
かつての人々も灌漑用水で水の争いを起こしたように、これからの人々も、爆発的に増えている人類のために水の争いを起こすことになるだろう。

余水吐跡、デング熱のあれで、殺虫剤をまいたというサインがあった。
あちこち緑がある公園とかよると必ずといっていいほど刺されるけど、ほんと大丈夫なのかと....
穏田川(渋谷川)の源泉はこの新宿御苑と今は枯れたという近くのお寺の池で、豊富な水量があったために、原宿のキャットストリートあたりはかつては水田が広がっていて、お米なんかも作っていたという。今では信じられない光景ですね。
渋谷宇田川町、西武んとこをかつて流れていた宇田川を合流して、駅ターミナルの下を流れて、渋谷川は顔を出し、その先は古川とよばれている。

沖田総司逝去の地として、浅草のちょっと奥の方にある今戸神社もうちもそうだと言っている。
これは隊士らを診ていた医師の松本良順がかつて今戸神社に仮住まいをしていたからだという記述がある....真相は知らないけども、先生が住まわれたいたから沖田総司終焉の地というのも分らないでもないような気がしないでもないけども。。

自転車移動でもなかなか気づかない案内板、自治体があちこちに設置してくれていて、地域史を広く知って欲しいと残してくれている。
エンジン付き車両では気づきようがないですよね。。
ゆっくりと町をランニングしているから....走りはじめてその存在に気づくようになってそれぞれの地域史、そんなことがあったんだと、おもしろいなと思うようにりました。

....この日は11kmのランニング。
新宿の十二社のお祭りで、出店してた友の露店に寄ってビールとハイボールを戴いて。短時間の談笑、それもよし。
走った直後、身体に良いわけないけど、気持ちよし。
帰りはもちろん電車、短パンに長袖であれだけど....
しかし寒い一日だった。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 庚申塔 馬頭観音 地蔵尊 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・古道・坂・廃線跡・出桁造り・四方山話など>】のリストが展開します。
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2014 9/22
『アイスダイブ』

朝寒くなってきたなぁ........
朝JOGしてて、手先冷えて寒い。
日中汗だくで10km走っても手が冷えていたりするけど、、

そんな寒い日が続いて、11km走ったあとに寄った新宿十二社のお祭り、出店してた飲食店オーナーの友の露天で呑んだビールとハイボールで手キンキンに冷えて身体も冷えて、速攻でまわる酔い、なかなかいいものです。
ぶらっと寄ってあれこれ話して長居せずに、それもよしで。
2週連続でばったりと同じ場所で同じ友にもあって、メッセンジャーの彼は先週と同じく折り詰め寿司2つをママチャリの前カゴに入れていた....おいしいよね、外食じゃないお寿司も。

プシュっとふりかけるadidas、これが3年くらいもってなかなかさっぱりしてて強くなくいい香り。
ランニングであちこち寄る時とか、そのまんまの格好でちょっと買い物とかの時にもひとかけすればにおいもさほど気にならずに...2−3時間もつのかな。
生地にもよってそれぞれ特有に違うけど、速乾や機能性、コンプレッションウェアは汗かいて乾くと自身のわるい臭いを発するので、騙すためによし。

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2014 9/17
『秋の晩に』

日常生活にランニングを取り入れてからというもの、起きている時はずーっとお腹が空いているような感じで、ずっと我慢しているとも言えるような感覚で...
がっつり食べても2時間後くらいには徐々に減ってくる...
ある意味でスパイラル。

秋の例大祭も終わり、いよいよぐっと秋が深まってゆく。
今週末くらいまであちこちまだお祭りがあることでしょう。
まだ短パン一丁に素肌のタオルケットでもって速攻で深い睡眠へと誘ってくれる。
専門書や小説はちっとも進まない。

いつも見ているこちらのブログから引用させていただきます。
つくねの親子丼に心がひかれて...
これ絶対においしいですね〜〜、プラスでたぬきわかめうどんをつけたいところ。
つくねはよく作るので今度コレを作ってみよう。

朝ジョグしてて、お腹ぐーぐーはんぱなく轟いている、それがいつもの朝。
健康な証拠....お腹がすかないようになると心が悩んでいたり寂しい思いをしている時だというから。

...あれだろうな、、飽食じゃなかったら金魚も食べちゃうんだろうな。

寒暖の差と気圧の変化にご自愛ですかね、事故や揺れにも...

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2014 9/16
『清戸道の名家』

千川通りと環状6.5号線といわれる鮫洲大山線との交差点を千川通りからまっすぐ進むと一方通行でわりと幅員がある道が続いている。
かの有名なトキワ荘で有名な南長崎という町を通ってさらに進むと目白通りに合流する。
その道に立派な旧家が佇んでいた。なんと江戸時代後期からのものだという。
目を引くその姿にどちらの名家の方かなと調べてみると、南長崎の豪農である岩崎家だと知った。きれいに手入れが行き渡ったその姿、維持されるのも大変なご苦労があることでしょう.....しかし立派です。

江戸時代に現在の東京都清瀬市と文京区の江戸川橋をむすんでいた街道は清戸道(きよとみち)とよばれている。この家が建っている目の前のこの道が清戸道。
一部はそれるが、目白通りと千川通りがほぼそれにあたる。
農村地帯であった清戸から江戸へと野菜などの農産物を売りに行って、帰りには栽培に欠かせないたい肥を積んで戻ったという。野菜街道とでもいえるのか。
その変わらない姿と街道ならではの微妙な幅員でスッと抜けた空と道、江戸の時代の風景を思うことができます。

あちこちの街道筋や古道をゆっくり通っていると、ずと昔から建っている家をちょいちょいみることが出来る。
逆に、古い立派な木造住宅をみかけたらそこを通っている道は古道、昔っからあるということ。
幅の広い道(国道や都道)ではなく狭い道に参道入口があったらそちらが昔からある道でかつての人々の生活道路でもあるということ。
大正昭和初期の木造建築をまだ街道筋ではみることが出来るが、70年後はRCのタイル貼りの集合住宅やガルバリウムやパネル貼りの一戸建てが昔ながら旧家、そういうことにもなるのだろうか....いや、スクラップアンドビルドでもって昔ながらのというべき姿をもたないのが未来の街道筋の表情になるのだろうか...建った当時の流行の建材を身にまとった建物が狭い周期で混在する、それがこれからの街道の姿だろうか。

この日は15kmほどJOG、町中をあちこち走っておもしろい。

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2014 9/10
『長袖の時季』

8月の後半から一気に寒くなってきて、日中でも長袖を着る日が増えた。
朝や日中に走る時はノースリーブでいいけど、そういえば日曜日は寒かったなぁ〜20km走ったけど、ずーっと手が冷えたままだった。。
寂しいけど、ぐっと秋になってきてますね、あちこちの神社でお祭りもあって。

今朝もなかなか寒くて、ウェアは長袖と短パンで。
長袖と短パンの組み合せも、気候とあっててかなり気持ちのいい朝だった。
もうしばらくはタイツなしてちょうどいいかもな、着替えがラクだし。
アメリカとかのトレーナー(上着)で、半袖トレーナーがあるけど、暖かいんだか寒いんだか微妙なものだけど、そんな感じに似ているようなないような感じがする、長袖と短パンの組み合せって。ふりかえってみると、3−4年生の時と同じ格好だし。

GPSをONしてキャッチするまで少々時間がかかるのはいわゆる“ランナーあるある”だと聞く。
空が大きい場所だと速攻でキャッチしてくれるけど、ビルだらけで空が狭い場所だと2−3分、かかるときは5分くらいも。
暖かい時季はいいけど、寒い風がふきつける冬の朝はなかなか辛いだろうな...

めざせ健康とは危険との背中合わせだろうか...

って、あちこち走っているとまぁよく友らにばったりと出会うけど、走りに集中してて、不意だからなんだか会話がしどろもどろになっちゃうんだよなぁ....声かけられてすごくびっくりする時もあるけど...そうなるよな、ならないか、どうなんだろう。。

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2014 9/9
『闘わずして勝つ』

黒田官兵衛、物語はいよいよ終盤へと入ってゆく。

家督を長政に譲って、自分は第一線から退く。
天下統一をめざす秀吉は小田原城 後北条氏を攻めにゆく、小田原征伐。
その際に、官兵衛を引っぱりだした。
なかなか下らない後北条氏、秀吉は攻めあぐねていたところに、官兵衛が単身丸腰で敵城に乗り込み、世の流れを説き、 後北条氏の自尊心を傷つけることなく、見事に和睦、開城させた。
そのお礼にと後北条氏は家宝の日光一文字を官兵衛に贈った。
自分の総大将秀吉からは何も与えられずに、しかも敵方からお礼される官兵衛の人徳や偉大さがよく分かる。

官兵衛なくして秀吉はありえなかった。
天下をもとれる官兵衛に秀吉は男の嫉妬をしていたのだろうか、一番怖い男の嫉妬....今の政治の世界しかり、まんまそのとおり。
主君を凌駕する才能によって酷い目に遭うも、自分らしさを貫き生きた官兵衛、彼の生き様に学ぶことも多い。

ギラリと光る国宝の日光一文字、一度は見てみたいものだ。
自分の故郷である大分の宇佐、その隣の中津城、こちらも一度は訪れてみたい。

戦国最強のナンバー2 黒田官兵衛 youtube
清須会議、本を読んでいて、DVDで先日観たけど、こちらもおもしろい。

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2014 9/8
『加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町』

中山道(白山通り)の一本裏の本駒込、大きな邸宅が立ち並ぶ一角がある。
かつては駕籠町とよばれ、幕府の御駕籠の者51人に土地が与えられたという。
御駕籠の者とは将軍専用の駕籠をかつぐ人で、長身の者が選ばれ、秘密厳守の誓約を入れたという。
今でいう、頼りにしている専属のドライバーさんのような感じだろうか。
明治になると加賀藩前田家の中屋敷を合併して、町の大半が三菱岩崎家の所有となったが、大正に入り、住宅地に開放して、皆で理想の町を作ろうと団結して、大和郷(やまとむら)とよばれている。

東大の本郷キャンパスは加賀藩の上屋敷跡で、下屋敷は板橋3−4丁目とその名も加賀1−2丁目に渡った広大な敷地だったという。
詳しい資料を見たことがないが、中屋敷は上・下に比べたら少し小さい規模だったのだろうか....

資産があっても住みたくとも住めない本駒込6丁目 大和郷、旧駕籠町、とても静かで好きな空間が広がっている....混雑する巣鴨の駅周辺、風◯街を通り抜けて、巣鴨駅から千石駅まではけっこう人が多くてランニングだと走りにくいので、避けて通る時によく使う便利な裏道です。
ちなみに、白山通りを大きく斜め向こう側には徳川慶喜の屋敷(過去記事 幕末を巡って)もあったというから、ずっと昔から由緒正しき地域だったことが分る。入りたくともなかなか入れないスーパー都立小石川高校があるのもそういう流れなのだろうかと、ふと思ったが。

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2014 9/4
『不動産』

物への執着、人それぞれ度合いが違うけど、それはみな持っているもの。
身近なものであれば、絶対にこのバイクは車は、この指輪はとかありますね。
自らが0から築きあげた自分の大切なモノ、それにはその人の想いが宿るのだろうと思う。逆に、先祖代々から守ることを命題として与えられているならば、それもそうだろうと思う。
何日か前の晩に、飯を食べながら妻と不動産のことや事故物件のこと、宿る想念とか、自分が知っている物件などのことを話していた。寝る前に珍しくTVをつけてみたら、まさに先ほどまで話していたコトや物件、宿る想念のことなどがやっていた。事故は続くもの....まさにそうだろうなと事実を知って思った。
事実を知らなくて、いや、知る必要はない人もいるけども、その建物や土地の歴史をしっかりと地学的な方面からもふくめてよく調べることもいいと思う。
掘りくり返して卒倒してしまうのも怖いけど、あえて知ることも、いや知らない方がいいこともありますね、人それぞれですね。

ちなみに、あえて調べて知ったこと...自分が今住んでいる土地は某武将が関係して、いわゆる歴史の本では出てこないその後の子孫がされたこと、地域史を研究していた先生の本を図書館で見つけてたまたま知った事実....昔から住んでいる土地というわけでもなく、それはそれで縁なのだろうと思う。

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2014 9/1
『公園』

あちこち町をランニングして公園にはよく立ち寄るけど、あっちの公園こっちの公園....どこみてもこんな禁止の看板が立っている。ちっと寂しい感じがする。
違和感もあります、チビらが外でも遊べるゲーム機を静かにやって遊んでいる公園、その光景に。
この前テレビでおじいさんが、「子供の声がうるさくて、うるさいぞ!静かに歩けっていつも怒鳴るんだよ」と笑って言ってたけど、かつてはどこもチビの声や遊びの音がしていて、その時代に生きてきた方なのになんでかなと思う。
けれども老後は静かに過ごして暮らしたいというのももちろん理解しています。
少子化高齢化の影響か...子供が少なくなりよりその存在が際立っているのか?
外に持って行けるゲーム機が登場しはじめたその当時、虫かごにセミの抜け殻をぎっしりと詰めて家に帰ると家族がほんとうに嫌がったものだ...