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2021 6/30 『徳丸ヶ原異聞 田中山五郎 <江戸・東京の農業 赤塚たんぼ>』

徳丸ヶ原(高島平)に住んでいる家族から貰った小説<徳丸ヶ原異聞>。
まだ何ページかしか読んでいないけど、上から2枚目の地図の地域で、正保年間(江戸時代前期)に巻き起こる出来事のようで。
知った地域なのでたぶん面白いと思う。
書いててどういうことだよって内容ですが...

赤塚 諏訪神社境内にある案内板から引用ーーーーーーー
江戸・東京の農業 赤塚たんぼ

この地は正保12年(1841)高島秋帆が鉄砲や大砲を使って兵を訓練したことが有名で、高島平と呼ぶようになりました。
江戸時代、東は志村から徳丸、四葉を経て西は赤塚、新河岸あたりまでの荒川右岸一帯は台地からの湧水の多い湿地帯で、徳丸ケ原と呼ばれていました。
ここに水田を作り正保年間(1644〜8)には4,900俵(294トン)の米が生産されていました。
明治2年、徳丸ケ原で大がかりな開墾が行われ、大正5年には352ヘクタールの水田から、14,000俵(840トン)の米を生産する穀倉地帯となりました。
かつてこの地域は大半が旧赤塚村に属していたので、農家の間では「赤塚たんぼ」とよばれ春ともなると、菜の花やれんげの咲き乱れる広々としたのどかな田園風景でした。
また、赤塚村には、長徳元年(995)より五穀豊穣と子孫繁栄を祈る国の指定重要無形民俗文化財の「田遊び祭」が、農家の人達によって今なお受け継がれています。

平成9年JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業
東京あおば農業協同組合
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■板橋宿中宿名主飯田家(総本家)跡
■旧中山道 板橋宿(平尾宿) 観明寺の寛文の庚申塔 加賀藩前田家下屋敷の裏御門にあり移設された山門 平尾一里塚 2021年10月29日加筆
■板橋宿(上宿・仲宿)の各施設跡(大木戸<江戸御府内 朱引>・上宿 名主 脇本陣板橋市左エ門家・高札場・自身番・問屋場)と新旧の板橋
■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡
■板橋の名の由来 交通の要衝 鎌倉街道と中山道 石神井川に架かる<松橋・板橋・山中橋>
■旧中山道“岩の坂”の縁切榎ほとりを流れる稲付川(中用水)と“なみだ橋”
■古道 高田道と旧川越街道の辻 四ツ又馬頭観音(板橋区登録有形文化財)

■現存する都内の一里塚
■中山道 日本橋から三番目 不動の志村一里塚
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■中山道 平尾一里塚(板橋一里塚) 一里塚まんじゅうと史跡

■上板橋宿と大山福地蔵尊
■町民を癒し見守る大山福地蔵尊
■豊敬稲荷神社 旧上板橋宿概要図
■上板橋宿にあるかつての“板橋”の親柱と距離の札

■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■いたばし大交通展 人工地盤 西台アパート(西台団地) 富士山を望む
■高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地
■戸田橋の親柱と武蔵野台地の崖線
■板橋区蓮根 ダイエー西台店の間を流れる用水路跡
■蓮根川緑道 ヘビ公園
■板橋区高島平 徳丸ヶ原 蓮根馬頭観音縁起
■板橋区大門 都立赤塚公園 鎌倉街道 しったり坂
■板橋区高島平 六の橋のグラフィック

■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 最新志村案内図 渋沢別邸
■板橋区立郷土資料館 連携協定記念展 <渋沢栄一 高島秋帆> 上板橋宿 下頭橋六蔵祠の扁額<博愛> 子爵 渋沢栄一
■国指定史跡(大正十一年三月八日指定) 西ヶ原一里塚 北区西ヶ原二ー十三・四先
■五代将軍 徳川綱吉御殿跡之碑(練馬区北町1-14 北町小学校と田柄川の間) 脚気に効くと言われた練馬大根栽培・発祥の地と環状八号線の開通

■ボクらのホームグラウンドの前谷津川<前谷津川と宮下大山不動明王> 2022年1月19日加筆
■ボクらのホームグラウンドの前谷津川の支流 梶谷津川
■前谷津川支流 不動通り 中尾不動尊の谷

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
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■オールドスクール #3
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■中年スケーター
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■スケートボード道
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■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
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■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
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■また出会って、共に生きましょう
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■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2021 6/29 『田端駅構内 武蔵野台地の崖下にあった鑑賞池 崖線からの湧水』

地図の青丸部分、武蔵野台地の崖下の田端駅の線路沿いに、かつて職員が作った金魚が住んでいた鑑賞池があった。
崖からは今も水があちこちから滲み出している。この湧水も使った池だったのだろうか。
この田端駅付近は田端西台通遺跡・田端不動坂遺跡・道灌山遺跡などが連なってあることで知られている。
また湧水も豊富で、今は枯れてしまったがいくつか滝が落ちていた。

数年前、石垣の補強工事に伴って鑑賞池は撤去された。(写真一番下)
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※2021年6月27日 崖線からの湧水の映像は下記。
(1280×720 32.1MB mp4 こちら

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【関連記事】
■北区田端 不動の瀧(道灌山の滝)・不動坂 谷田川沿い水神稲荷神社
■霜降銀座 古石神井川と谷田川 田端八幡神社 谷田川に架かっていた石橋

■消える富士見坂と豆まき
■消えた日暮里富士見坂

■北区 中里遺跡出土丸木舟
■北区岸町 上郷用水(石神井用水)に架かる岩槻街道の三本杉橋下から出土した縄文時代の丸木舟と中里遺跡出土丸木舟

■北区西ヶ原 王子脳病院跡地の飛鳥中学校 西ヶ原遺跡群(西ヶ原貝塚) 住宅地にも広範囲に分布する縄文時代の貝殻 中里貝塚

■縄文人の一生 -西ヶ原貝塚に生きた人々- 武蔵国豊島郡の郡衙跡と鎌倉街道

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2021 6/25 『板橋区赤塚 不動の滝<記念物(史跡)> 令和3年』

地図の青丸部分、乗蓮寺の向いに不動の滝(水垢離場)がある。
干ばつの年でも枯れたことがないと言われている。
しかし、近年では水が落ちていないこともあり、2018年11月11日には滝の姿を見ることが出来なかった。

板橋区のサイトから引用ーーーーーーー
不動の滝(ふどうのたき)

不動の滝は、江戸時代から富士・大山を初めとした霊山登拜へ出発する際の水垢離場(みずごりば)として利用されてきた。
寛政11年(1799)造立の石造不動尊像により、江戸時代中期には水垢離場として利用されていたことが窺える。
その後、幕末には木曽御嶽山(きそおんたけさん)を信仰する赤塚一山元講(あかつかいっさんこう)の利用が確認でき、さらに明治35年(1902)1月には石製の玉垣(たまがき)が整えられ、昭和8年(1933)には滝壺の整備が行われるなど、永年にわたり利用されてきたことがわかる。
かつて板橋区内では、いたるところに湧水があり、生活用水や水垢離場として利用されていたが、その多くは消滅した。
当滝は、霊山登拜者が水垢離場として利用されていた当時の姿を留めているだけでなく、その機能も有しており貴重である。
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2021年6月12日には不動の滝の姿を見ることができた。

※2021年6月12日の不動の滝の映像は下記。
(720×1280 68.3MB mp4 こちら

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【関連記事】
■板橋区 赤塚不動の滝と大根

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■旧中山道 板橋宿(仲宿 ) 徳川家康から朱印地が寄進された重蓮寺の参道跡

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■高島平の名の由来 高島流
■文京区向丘 大円寺 高島秋帆の墓
■“青天を衝け” 高島秋帆 松月院<高島秋帆先生紀功碑>と西洋砲術の演習地 徳丸ヶ原

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■江古田川 不動橋と垢離取不動尊

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。