Content
line
2025年1月 12line
2024年1月 12|2月 12|3月 12
|4月 12|5月 12|6月 12
|7月 12
|8月 12|9月 12|10月 1234
|11月 12 |12月 12

line
2023年1月2月3月|4月 12
|5月 12|6月 127月| 8月 12
9月|10月 12|11月 12 |12月 12

line
2022年1月 123|2月 12|3月 12
|4月 12|5月 12|6月 12|7月 12
|8月 12|9月 123|10月 1|11月 1
|12月 1

line
2021年1月 12|2月 123
|3月 123|4月 12|5月 123
|6月 123|7月 12 |8月 12
|9月 12|10月 12|11月 12
|12月 12

line
2020年1月2月|3月 12|4月 123
|5月 123|6月 123 |7月 123
|8月 1234|9月 123
|10月 123||11月 123
|12月
12
line
2019年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2018年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2017年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2016年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2015年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2014年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2013年1月-2月3月-4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2012年1月-2月3月-5月6月-7月
8月-9月10月11月12月

line
2011年1月-2月3月-4月5月-6月
7月-8月9月-10月11月-12月

line
2010年1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月

line
2009年1月-3月3月-5月6月-7月
8月-9月9月-10月10月-11月12月

line
2008年1月-3月4月-5月6月-9月
9月-10月11月-12月

line
2004年3月〜
  • ABOUT
  • INFORMATION
  • COLUMN
  • WORK
  • CONTACT
  • logo4
photo

2024 12/23 『90年代の西麻布、永ちゃんたちと一緒にラーメンを』

先日の<マツコの知らない世界>は、人気店のラーメン屋店主はかつてヤンキー(不良)だった人が多いという内容だった。その名も<ヤンキーラーメンの世界>。
出演されていた店主らはコンテンツの通り元ヤンで、その中で矢沢永吉さんのことが大好きな店主もいて、ブラウン管の向う側からラーメンが好きだという永ちゃんを見て、「これだ!ラーメン屋になれば永ちゃんが来てくれるかも」という思い、希望からラーメン屋の道に舵を切って、無事にラーメン屋を開店させたという。
その番組が放送されたのは1997年で今から27年前のこと。その当時、私の家族が友と2人で六本木か西麻布で夜遊びをしていたところ、永ちゃん御一行に「レディ達!よろしく」と、そう声をかけたかは分からないが、「ラーメンごちそうするよ、一緒に食べに行かない」と誘われて、あの永ちゃんと一緒にラーメンを食べたという。まぁナンパみたいなものですかね。この出来事とちょうど時期が同じなので、本当にこの当時永ちゃんのマイブームはラーメンを食べることだったのだろう。放送を見て、合点々だった。
そう言えば、ハーレー乗りだった私の大先輩は、永ちゃんのコンサートでハーレーに乗って入場するというパフォーマンスに駆り出されて出演した。先輩のハーレーはキャプテンアメリカのようなスタイルだったように記憶している。
まぁそれはそうと、永ちゃんと突然一緒にラーメンなど食べられることなどまずないので良い出会いだったと思う。

ところで、元ヤンだった<とみ田>の店主は大勝軒で修行されていたことは、ラーメンマン、ラーメンマニアにはよく知られていると思うが.....大勝軒創始者のラーメンの神様故 山岸さんが悲しく思っているだろう事件、暖簾分けした大勝軒の子達がまっふたつに分れてしまった出来事はその後変わりなく今も続いているのだろうか?割れたものは元には戻らない、その法則の通りだろうか...、どうなんだろう、まぁそうだろうなぁ。たくさんありますがどの組織も割れる、そういうものなんでしょうね。

【関連記事】
■はっぴい荘・ピーハツ・ハッピーピープル・ネットカフェハッピー それぞれのHAPPY

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事3<四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2024 12/18 『「これ開けて」 介護用品・便利用品 自助具・補助器具 <要支援1から要介護5までの経験 ー介護は最後の子育てー>』

「これ開けて」と、力強くなってきた頃に親や祖父母、家族などに言われて、蓋を開けることを担った男の子がほとんどではないだろうか。「大根をおろしといて」というのも多くあっただろう。
親が高齢になるとその機会もぐっと増えるし、状況によっては身の回りの多くのことを担わなければならない人もうんと増えるだろう、私がもれなくそうだった。
親を通院させて、その間に緊急入院手術もあり、退院して家での処置としてこれらのチューブタイプのお薬を患部に塗布しなければならない状況になり、使いやすいように補助器具購入したが、これらを使うにも手の力をある程度は必要なのだが、いかんせんこの寒い時季の塗り薬はどうしても硬くなり、うちの場合は絞り器でも使うことが出来なかった。私が代わりに使ってもまぁ使いにくいと感じた。まず中年男がぐっと握ってくるくる蝶ネジ部分を回すも、チューブが滑るし、滑らないようにするにはかなり力を入れないとならず、そうすると手のひらが凄く痛いのだ。握り部分にはスポンジ系素材の貼付けと凹凸がある絞りローラー部分には滑らないようにゴムのコーティングが必要だと感じた。そう改善するとだいぶ使いやすくなるかと思うけど、もとの塗り薬が硬いので、湯煎して柔らかくしてから使うことになる。しかし、独居であった親にはそれが出来ず、形成外科の先生にそう相談するも「だったら家まで来て湯煎して塗ってあげてください」と。仰るとおりだけど、毎日風呂上がりに独居の親の元へ行って処置をするのは困難を極めた。結果的に最期まで絞り出せずもなんとか腕等を使ってチューブから薬を出せたが、うちのようにこのようなことで困っているご家族も多いかと思う。陽があたる場所にチューブを少し置いておいて柔らかくしたりも良いのだろうか?うちは室内をあちこち歩くのは危ないし足に負担がかかって転けてしまう恐れが大変に大きかったのでそれはなしにし、他にもたくさんの要因が相まって独居は今後は不可能となることが分かった。それから1年ほど在宅で治療を続け、訪問看護・介護なども使い、また主に私や他の家族の介護の手助けもありなんとか過せていたが、再入院手術となり退院後は独居は不可能となった。その後しばらくしていくつかの救急搬送、緊急入院手術その他うんとたくさんのことがあり数年が過ぎた。
退院などその後独居が不可能になって家族と同居となったり、病院から直送で高齢者施設へ入所という流れになるご家族も多いだろう。私の家庭でももれなくそうなった。s

絞り器の他にもオープナーを握るその角度では力が入らない...なども、他にもたくさんうちの親には不都合な補助器具があった。これは人によるのであくまでもうちはということで。

2016年から2022年のこの時季、11月から12月、1月は家族のことで猛烈に大変で動きまわっていたのを今でもついさっきのことのように思いだせる。途中でコロナ禍に突入しさらに状況はひっ迫していった。
これらの出来事は二度と経験したくはないが、人として紙一枚、一段上にあがれたように自分自身そう思えるのは、今生私が経験すべき役目だったと改めて深く感じる出来事がたくさんあったから。私のように自分の家族に対してそう思う人は多いかと思う。

私は要支援1から要介護5まですべて経験しました。
「介護は最後の子育て」ですね、本当に。

#要支援1 #要介護5 #介護 #介護保険 #特定施設 #介護老人保健施設 #特別養護老人ホーム #介護は最後の子育て

【関連記事】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事3<四方山話など>】のリストが展開します。
photo

2024 12/16 『おじさんグッズ若い子グッズ』

たばこを手放して15年半ほど経過した。かつてはおじさんグッズであり若い子には御用達でもあったライターは仏壇でしか使わないようになった。故に若い時分に使っていた記念品やお土産、誕生日プレゼントとして貰ったジッポなどのオイルライターは<インポータントパーソナルボックス>にそっと仕舞ってある。今は100円均一で買ったガス注入式のお線香着火専用のライター1本がすぐそばにあるくらいだけとなった。
もう私のような年齢に差し掛かると、徐々に明らかに使わないものなどは周りにあげたりして有効活用してもらうのが良いのだろうと思ったりで。好きで集めていたたくさんの趣向品も気づくと「あぁもう要らないかも」とか思ってきたり、ハイブランドの製品にもあまり興味が無くなってきたけど、それはそれで良いものなのか?とかも思うけどどうなんだろうか。

さて、朝晩はぐぐっと寒くなってきて、居間にある壁掛け式扇風機も今年はご苦労様して、オイルヒーターを出そう...外の植物をみると秋のような冬のような、どちらもが同居している光景にこれからの日本の気候も心配しつつ同時に強い日本はもう盛り返してこないのかな、そうだろうなと希望も何も無いような気分になるも、いやいやとその考え、ホープレスになってはいけないですね。

【関連記事】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

photo

2024 12/4 『呑まず走らず大事に過す』

大切な出来事をこなしていた霜月。
暑いのと寒いのが同居していたような、なんとなく秋のような月だったけど、12月初旬の今もあまり変わらないような気がしないでもない。日中はまだ掃出し窓を開けてワーキングして気持ちが良いのは南側故に日射しが輻射熱となって居室を暖めてくれているのと狂ってしまった気象によるものだろう。しかし、今年の冬は冬らしい冬になるとの予報だと言っていたがどうなるのだろうか。あっというまに1月も終わり、3月の桜の季節となるのだろうけど。

今年も変わらずに大切ないくつもの限定品の販売に携わり、今年も大きな山である横浜HOT ROD CUSTOM SHOWも無事に終わり(私は特に何かしていませんが)、あれこれ一旦一段落なので、身体のメンテナンスを少し進める。
昨年の師走、年末にはパーソナルジム新規出店・開業のアシストのお話を進めて、あっという間に酷い暑さの夏に引渡したと思ったらもう師走。こんなにはやく過ぎ去る時間にびびりつつも、やはり加齢につき心身共に無理せずに進もうと思う。

昔から高齢者から栄養ドリンクを戴くことが多いけど、商店街では今も変わらずに高齢者が歩行補助機能付きカートにごっそりと栄養ドリンクと老若男女にこちらも変わらずに大人気のオロナミンCを積載しているのをよく見かける。
「運びましょうか?」と、声をかけたくもなりますが、まぁほんとうによく高齢者に声をかけられます、特におばあさんに。なんか話やすいのだろうか。

さて、セールでいくつか底値の商品も買ったり、この後もまたセールで狙っているのを待っていたりと、座っていても楽しいものです。
さ、ランニングしてこよう。

【関連記事】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

photo

2024 12/3 『クローズド空間』

三菱UFJ銀行の行員による顧客貸金庫窃盗事件にはとても驚いたし、強奪金額が十数億円というのにも唖然とした。
マスターキーはないとか実際にはあったとかというのは、そりゃあるよねとも思うけど、普通に侵入して...これも管理上できますけど、勝手に開けて資産をくすねていたというのはもう何も安心、信頼できないということで。
私も貸金庫についてはある程度知っていますが、このようなことが起きるとは、いや、普通に今まであって表に出ていないだけで、マスターキーがあってもこんなことされてはもうどうにもこうにもどうしようもないですね。顧客が何を貸金庫に入れて管理していたかは行員は不明というのが前提だから、行員が盗んでも「いや銀行としては知りません」というだけのことにしかならないですね。中身は知らないし銀行は責任を負いませんという前提での契約ですし。

以前、梅宮アンナがお父ちゃんである梅宮辰夫さんが逝去され、貸金庫を借りていたことが分かって、解錠したところ何も入っていなかったと言っていたが、果たして本当に何も入れていなかったのだろうか?と、この件があって懐疑的になってしまう。
そんなことを思っていたら、ガキの使いやあらへんで等の放送作家であった?ある?安達元一さんもかつて貸金庫に入れていた現金1000万円がこつ然と無くなっていて、結果銀行が内部調査したところ行員が盗んでいたことが判明したと、Youtubeに上がっていた....これにも驚いたけど。やっぱり勝手に貸金庫を開けちゃって強奪することは普通にあることなんだと思わざるを得ないと思った。(久しぶりに安達さんを見たけど、若い頃に脳梗塞を発症して...元気に生還したんですね、良かった々)

これから刑事事件?でもって調査されて表にたくさんのことが出てくるのだろうかは、銀行と警察の擦り合わせや打合せ次第というところでしょうか。

【関連記事】
■路上押し売り <時計あげますよ>アゲイン

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。