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2024 4/24 『三色丼は母の味 <店屋物の鍋焼きうどんか吉野家の牛丼そしてタイヘイのファミリーセット> 歳を重ねて介護食は息子の手料理へ』

仕事はもちろん生きていくのが精一杯だった母は、あまり料理に手をかけることが出来なかった。平日の晩飯は近くのそば屋の店屋物の鍋焼きうどんか吉野家の牛丼が多かったし、その他の晩飯はほぼ憶えていない。いつしか太平のファミリーセットを注文し始めたので、日々の生活に少し余裕が出てきたのだろう、届いた食材に火を入れて出すだけで、栄養バランスが良い毎晩違う献立となるのは大変にありがたかったんだろうなと感じていた。45年位前だけど、おいしい献立も嬉しかったし、配達のおっちゃんも今でも憶えている....今で言うと30代くらいのお兄さんだったかもしれない。
そんな日々の生活の中、母の手料理でよく憶えていてとても好きだったのは三色丼だった。余裕がありそうな時にはおねだりして作ってもらっていて、肉々しい味のぶれがある時は苦手だったが、それでもとてもありがたかった。
それから時を経てどうだろうか、高校生の頃のお弁当以来、三色丼が食卓に並ぶことはほぼなくなり、仕事帰りに巣鴨で寄って買って帰ってきた、焼肉定食が多くの晩飯となった。豚が牛かよく憶えていないのはあまり好きではなかったからで、ドレッシングの味はよく憶えている。引越してからは、家の近くのストアの惣菜がほぼ毎晩のおかずとなり、豚トロ焼肉やカレイの煮付けがよく出てきたのを憶えているが、これらももう頻繁に勝ってくるのであまり好きではなかった。あぁそう、日曜日は母が大好きだったお好み焼きをよく作っていた。表面にのせた豚肉がカッチカチなのも印象的だった。

そんな母は60歳頃に難病となって関節の痛みが強くなり、手料理をやめたのは60歳後半だった。自分でなんとか買出しに行っていたが、それも出来なくなり、私が料理を作ってひとつずつパッキングし冷凍にして背負って毎週持って行っていた。着いてから車椅子に乗せて二人で買出しに行って、好きな食べ物を冷凍にして...というルーティーンになり、数年が続いた。

今はもう母の手料理は食べられないので、自分でよく三色丼を作っている。 母のと自分のはもちろん味が違う。自分で作った方が好きな味でおいしいけど、母の味は別物で母の味付けには到底ならない。そういうものですね。

さて、久しぶりに作るか。

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■文房具マニアではないが文房具が好き <高齢の親の為の介護日記手帳>
■履き潰したランニングシューズの処分 <介護を担う靴になったランニングシューズ>
■昭和50年代初頭の頃のハッピーロード大山商店街・遊座大山商店街(板橋区民館通り商店街〜大山サンロード)と町並み(大山町・大山西町) ライフアップ 大丸百貨店・大山東映(映画館)・ヨシオカヤ(おもちゃ屋)

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ここをクリックすると下に【過去記事3<四方山話など>】のリストが展開します。
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2024 4/19 『ハイスクール通学スタイル』

母には負担をかけたくないから私立へは絶対に行くわけにはいかないので、偏差値ひとつ余裕のある高校を選び、滑り止めの私立はさらに低い学校を受験した。
晴れて春から西巣鴨にある都立高校へ電車通学をすることになった。
定時制高校も行けないような状態だったから、母がとても喜んでくれたことは私の宝となり、人生の礎のひとつとしてさらに加わった。
母から祝いの褒美として、ラゲッジレーベルのショルダーバッグ、ライナー?フラップ?を買ってくれ、姉の影響もあり、SWATCHをつけて足元はコンバースを履き、入学当初は指定の学ランで通うスタイルとなった。
その当時学校の建替え真っ最中で、50年代建設の旧校舎の1階は1年生専用となっていて、常に土ぼこりでざらついた吹きさらしという環境だった。中庭を歩く新入生を2階の2年生、3階の3年生から冷やかしで見下ろされるというような状態で、屋内だったら<ショーシャンクの空に>の監獄籠のような光景だろうか。見上げると上級生らは制服の中にちらほらと私服の生徒の姿もあり、指定の制服を無視した輩もいるわりとゆるい校風なのだなと、先生もあまり厳しくないのだと分かってからは、夏前にはほぼ私服で、HealthknitのヘンリーネックTやボーダーT、ヘインズ青パックのタンクトップに上野アメ横<ヤヨイ>の怖いこわい佐藤さんから買ったオリジナル(リジット)のリーバイス501(5000円くらいだった)、観光名所だった駅前の原宿テント村の隣りの原宿オッシュマンズで買ったニューバランスを履き、たくさんの教科書や、母手作りのかっちかちぱっさぱさハンバーグ弁当やカッチカチの胸肉唐揚げ弁当、三色弁当などを詰め込んだ分厚くて重いラゲッジレーベルの斜め掛けが通学スタイルとなった。そう、ごくたまに弁当の代わりに食べていた学食は絵に書いたような古くて、人が居なければ外も中も廃墟かのようなたたずまいの食堂だった。学校の近くにある安くて大盛りの名店 弁当屋<つるや>にもたまに通った。
時は瞬く間に過ぎて、冬はラッセルのトレーナーと同じくリーバイスGジャンやLeeウエスターナ、目白直営第一号店で買ったPatagoniaのシンチラを好んで着ていた。
それからしばらくして、リングブーツにリーバイス517のブーツカット、schottのダブルのライダースに変わっていった。私服が面倒な時やあらたまった日には学ランに変えて通学していた....本当は常に制服でなければならないのだが。どの先生もよく言っていたのは、「この学校は入学した時はみな勉強もできているのに、卒業時にはダメになっている生徒が多いんだよなぁ」と。比較的ゆるい校風や楽し過ぎる学校生活がそうさせているのだろうが、勉学は勉学でやりたい子はやる、それだけだろうとも思う。

と、そんな中学から高校にあがる頃に買った、真ん中の1988年の黒白のスウォッチと左の透明な1985年のものに新しい電池を入れたら再び動き出した。なんだか気持ちが良くて、その当時のほんのわすかなことを思い出し、つらつらと書いた次第で。
一番右の時計は、七五三の時に同じ施設で育った幼なじみとお揃いで母が買ってくれた初めての時計。これはネジ式だが、もう針は動かなくなって30年近くが経つ。私にとって今では母を近くに感じるモノのひとつとなった。

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かつてアメ横では友達が6人、アパレルで働いていた。
ハナカワ
ジャラーナ
ミタスニーカーズ
中田商店
もう2店舗は失念。

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■さようなら<ホープ軒本舗 大塚店>
■patagonia 1990年版カタログ
■板橋区高島平 前谷津川“六の橋”のグラフィック<危険です!スリルとスピード、ルール無視> 盗んだ直管CBX400Fを奪取せよ 不要なタイマン大会と押し売り暴走族ステッカー ボクの直管トライアルバイク>
■板橋区高島平(徳丸ヶ原)・西台、板橋区大山 <危険です!スリルとスピード、ルール無視/あせりと無理が危険を招く> コールといえば

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