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2017 11/21 『渋谷川 庚申橋供養碑』

一番上の地図の赤丸1、渋谷川に架かる庚申橋の袂に庚申橋供養碑がある。
10年前、恵比寿で働いていた時に、この付近をバイクでよく移動していた時から気になっていた庚申塔....先日久しぶりに近くを通った時によく見てみたところ、びっちりと人の名が刻まれていた。
広範囲に渡る多くの人々の想いが入っていた。

----------------------- 案内板から引用
この橋供養碑は、寛政11年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。
上部の青面金剛像のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び、個人の名が多数刻まれています。
それらの人びとの地域をみますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋。市ヶ谷方面から、目黒、中野、世田谷、荻窪といった広い範囲にわたっています。
こうしたことからみますと、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったことがわかります。
-----------------------
上から2枚目、古地図は1896年〜1909年の物で、赤丸のところに庚申橋供養碑がある。
黄色い線が庚申橋供養碑が建つ前面道路で、東へは室泉寺へと続き、西へは鎌倉街道(緑色の線)へ合流することから、案内板に書いてある通りに交通上重要な道だったことが分る。
地域の方々に今でも大切にされている。

室泉寺の縁起
室泉寺の創建年代は不詳ですが、当初浄土真宗西本願寺派の寺院として芝金杉にあったものを、松平外記忠益が抱屋敷を和泉神鳳寺中興快圓比丘に寄附した際に、寺蹟を譲り受け、真言宗に改め寶泉寺と号して和泉神鳳寺中興快圓比丘の宿寺としたといいます。

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ふじ大山道
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上板橋宿と大山福地蔵尊
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵
地蔵・道しるべ(代官山 猿楽町)
田端 東覚寺 赤紙仁王
中山道 齋藤商店
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東京第一陸軍造兵廠 標石 陸軍用地
巣鴨 眞性寺の地蔵菩薩
千石緑地
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板橋遊郭 新藤楼
旧中山道はタネ屋街道
葛飾北斎墓
旧中山道に現存する出桁造り(2017.11/6 加筆)
豊島区立郷土資料館 新・旧鎌倉街道
北区十条四軒道路にある出桁造り
日曜寺の扁額
目白通りにある出桁造り
渋谷川 庚申橋供養碑