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2014 11/26
『富士・大山道の道標と庚申塔 下練馬大山道の道標と東高野山の道標』

地図を片手にナビゲーション...
これも今となっては昔のこと。
カーナビが主流、端末をいじって地図。

20年前は地図をバイク積んであちこち出かけた。
道端に止めて何回も確認したし、目的地の地図をコピーして観光。
地図と案内標識を確認して、あとは感で。
ぼろっぼろになった都内編や全国地図は今でも大切に本棚に収納、未開通だった道はどんどん開通して、昔のインフラを見返すのもおもしろい。
トイレに入る時には地図を片手にがいつものことだった。
今では古道を調べたりするのもおもしろくて...
古道は今でも生活道路として生き残っていたり、今となってはもう消滅した古道もたくさんある。

昔は道も少なくて、ある意味目的地へは行きやすかったのかもしれない。
道をまちがえちゃったらえらい距離をまた戻ることになっただろうけど。
飛脚なんてすごい仕事だなとつくづく思う。

現在の道にもあちこちにかつての道標が残っている。
刻まれた文字が読めると感動したりもする。
上から2枚目、富士や神奈川の大山へとお参りに行く人への道標で、板橋区の志村坂上の旧中山道に建っている。
かつての人々は「ふむふむ、こちらか」と確認していたのだろう。
残念ながら大山道はきれぎれになっていたり、完全に消滅していたりもするが、おおむねこの道がその筋という道もある。
道標は移設されたり、位置を変えられたりもしているが、点々と存在しているので、時間と体力があれば巡ってみるのも地域史や日本史を知るいい手段だろう。

板橋区や練馬区の富士大山道は環八と富士街道がほぼそれにあたる。
4枚目の地図をみるとわかるだろうか。

5枚目以降、
環八と旧川越街道の交差点に建っている道標。
ここらへんは下練馬宿だったところで、要衝だったのだろう。
従是大山道(これより大山道)と刻まれた文字が立派で力強い、間違いない安心せよと言っているようで。
大山道の道標はあちこちに現存しているが、石神井川沿いにも立派なのが建っている。
大山道の道標の隣に建っているのは紀州の高野山へは行けないけど、高野台に今でもあるお寺さんへと参拝にいく人のための道標。
保存のために、これらの道標は交差点から移動されて90度向きも変わったので今ではその方向を示していないけど、見やすくなったようだ。

江戸時代の交通や信仰を物語る貴重な資料、その通りですね。

ランニングシューズを履くようになって、流れる風景の速度が落ち、まぁ今まで見えなかったものがたくさん見えてくるけど、目的地へ遅れちゃったり、なかなか着かない、なかなか帰宅できない、「ちょっと走ってくる」と朝玄関を出て、暗くなって帰ってくる、心配させる。ま、しょうがない。
めんどうになって帰りは電車にして、駅まで一杯呑んで帰るのもいいもんです。

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ここをクリックすると下に【過去記事2<地域史(歴史)・史跡遺跡(古墳 塚 石仏 社寺 城跡 陸軍 )・文化財・宿場・上水・旧道/古道・坂道・廃線跡・都市計画・出桁造り・ルポなど>】のリストが展開します。
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2014 11/25
『グローブ』

電動の大工道具を使う時用のグローブ。
バイク整備でたまに使うグローブ。
運転する時に使う春秋用のグローブ、冬用のグローブ、雨の時用の防水グローブ。
普段着着用の革グローブ。
革グローブのインナー用のウールやフリースのグローブ。
...油や塗料なんか扱う時のグローブ、軍手的なのも含めればどんだけ持っているんだろうか。
でも、油汚れや車両運転以外は大体素手でだけど、手先の感触を失うから。

ランニンググローブは3つ。
春秋は薄手の軍手、自転車の時もこれ。
なくしても破れてもいいし、これで十分。
薄手のCW-Xのグローブも良いです、親指人差し指中指にスリットが入っていて、したまんま指先だけ出せるのでシューレース結んだり、小銭だしたり、無精なウイメンズやメンズだと大切なのを出す時とか便利かなと。
で、これからぐっと寒くなるから、ちょっと厚手のグローブを。
走っていると、指先がとても冷えるので厚手。
真冬なのにたまにノーグローブの人とか見かけるけど毛細血管がすんごいんだろうなと思う。

先日、B級品・余剰品・ニセモノどっさりの、でもよーくほじくるとブランド物が混じってでてくる玉石混淆SHOPをかなり久しぶりに覗いてみたら、ブランド物しかも欲しかったグローブを発見。
ぴったりSサイズ、ラス2で。
定価の1/3というびっくり価格で入手。
ひょっとしたらという妙な、いや、いい感が働いただけになんとも嬉しい。
厚手だけどスマートなフォルムで温かいNIKE サーマルテックグローブ。
手首部分がぴったり厚め長めなので温かい。

グローブ、グローブって書いてたら思いだした。
松本人志の放送室 ジャージ、グローブ via
何回聞いてもおもしろい、傑作。
....買ったばっかりのこのNIKEのグローブも鮮やかな差し色ブルー。

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2014 11/20
『健康』

飲んでいる時、昔は女や仕事や飯の話ばっかりだったけど、45歳のこの当時には今は飲んでもほとんど病気の話だったと。
気ぃつけなあかんと言っている。40:00から

周りには健康診断を受けていないリーダーも多い...義務じゃない人も多いし。

8年分だったか、全部ひっぱりだして比べてみた。
その年に何をどう食べて飲んで、どういう生活だったかもわかるし、いいものです。
早くに逝った友も多いし、自分はビビリだし...
飲むの好きだから気をつけているけど...
まぁおおむね良い方だと思う。
しかし、病院はきらい。
歯科医院は好きだけども。。

安心したい、チェックしたいと二人は言っていた。
その通りですね、あたりまだけど。

以前TV番組で長州小力が最悪の診断結果がでて、ほんとうにあぶないと。
で、改善してさまざま数値がよくなったけど、一歩おそくて、糖尿病の合併をおこしてしまったという。
改善のタッチの差...
実姉からの手紙で泣いてた、もらい泣きした。via

大切にしなければ。

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2014 11/19
『高倉健 新幹線大爆破 志村検査場・交通局志村基地』

さみしいな...

さて、
たくさんの作品から新幹線大爆破を。
健さん、CBに乗っていて格好いい。

この映画に登場するロケ地はとても馴染みのある場所で...

この映画を撮影した年のちょい前に三田線が営業を開始した。
当時、高島平駅は志村駅という名称だったために、たぶん、そんなんで西台駅の横の車両基地は志村という名称で現在に至る。

線路の間にたくさんの柱を建ててその上に“人工地盤”を載せて、団地を建設し、ピロティになった人工地盤の下は志村検査場・交通局志村基地となっている。
支持地盤が人工地盤、14階建てのツインコリダー型団地がよく建っているなと感心します。
40年前、高い建物が建っているということで、高島平団地や西台団地に方々から自害する人がやってきて、なんとかの名所という汚名がついてしまった。
一年に数人...どーんと響きわたる鈍い音、住人たちは本当に困っていた。

と、そんな西台と車両基地が撮影場所のひとつ。
改札をでたワル...団地へのアプローチである階段とスロープがみえている。
確か今もあると思うが、電話BOXもある。
このスロープでスケートボードやチャリで滑走して遊んだなぁ。とてもあぶなかったけど。

ワルが基地方面へと向う時にデカに見つかり追われて、基地に入り込む。
なつかし扇風機のみの暑い暑いステンレスの車両も登場....自分が高校生の頃にようやく冷房車輌が走り出し、板橋本町だっただろうか、ホームには冷房装置が設置されたのではなかったかと思う。

逃げるワルは職員が使う階段に侵入し、西台駅のホームへ。
ちょい前まで、味気ないこんなホームだったなと思いだし。
今でも運転士さんが、このルートでやってきて西台駅で乗務員交代をする。
40年前の西台駅とその近辺が映画でみられて少し興奮したもんです。

新河岸川も登場。
奥にガスタンクが見える。
当時の新河岸川は虫もすごく、なかなか汚染した川だった。
いきものがかりだった友は、お母さんにおむすびを作ってもらって、この新河岸川の秘密基地で食べるのが好きだ!と言っていたけな。
牛舎か豚舎だったか、小さい農場、農家もあったと記憶している。

ワルのアジトは、武蔵野台地から姿を現して高架になる志村三丁目付近かな?と思う。
台地の地下を走っていた銀座線、谷底にある渋谷駅のために姿を現して高架になるのと同じ地形ですね。
チンチン電車も出てくるけど、東池袋だという。
なつかしい黄色い車体、飛鳥山の回転展望台に遊びに行くのに乗った初めての黄色い車輌もよく憶えている。

ここらへんのシーンばかり観てしまうけど、とてもおもしろい映画です。
模型の新幹線もまたおもしろいんです。

撮影場所となった志村三丁目〜西台〜高島平はかつて徳丸ヶ原とよばれていた。
砲術家の高島秋帆が幕命をうけて、このだだっ広い湿地帯で西洋式の砲術演習を行ったことから、大規模開発の際に高島平と改称されました。
車両基地の上にある西台団地や隣の高島平の団地も、少子高齢化が進んで、高齢者ばかりになってしまい、小学校の廃校、子供の声もかつてとは比べ物にならないほど、静かになってしまった。

最近の話題だと、西台駅にラーメン二郎ができたことだろうか。
俳優の瑛太さんも徳丸ヶ原出身だと知りまして、急に親近感が。

ここらへん出身の方は、ぜひご覧ください。懐かしいですよ。

遺作のようになった『あなたへ』、すごくよかったです。

2019年10/9加筆

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ここをクリックすると下に【過去記事1<河川・湧水・池・滝・堀・上水・暗渠・橋・宿場・史跡遺跡(貝塚 古墳 塚 庚申塔 道標)・文化財・古道・坂など>】のリストが展開します。
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2014 11/17 #2
『クランプ』

見た瞬間これ便利!と思ったテーブルの脚。
元々は物と物をはさむ時に使うクランプという工具をびょーんと長くしたわけだ。
板状になっているものだったら何でもテーブルになっちゃうという。
住居やオフィス、倉庫....アウトドア、どこでもOK。

ただ問題が...
写真の板のように少し厚さがあってたわまない板じゃないと使えない。
脚と脚の距離をどれだけ離すかによって板の厚さも変わるけど...
写真のように、家に使うドアのような構造(中は木を等間隔に縦横に組んだフレーム状になっている。それに仕上げの板を貼っている)になってるものだとたわみにくいから、ちょっと限られますかね。

無骨なクランプの構造を脚に...
気に入った扉や額的なもの用の脚でもあるのかな。
流用できていいインテリア、テーブルになりますね。

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2014 11/17 #1
『深まる秋』

この1−2週間くらいでぐっと冷え込んできた。
いよいよ嫌いな冬だ。
石けんからボディソープに変わって、ページやビニル袋をめくる時はまぁめくれない。
この時季は衣服もさまざま...コートにマフラーの人、ダウンの人、Yシャツ一枚の人、半袖のおばちゃん、半袖短パンの少年と暖かい時季と寒い時季の服装が混在しているから、見ているとおもしろい。

寒くてランニングロングタイツをはいたけど、日中はまだショーツのみでも大丈夫。厚着のランナーも薄着のランナーもさまざま。

染井吉野は秋も楽しませてくれる。
橙に紅葉。
GPSをオンして、キャッチまでぶるぶる震え、息はふぅーと白い。
こんな時にぽっくりあぶないなと思って。
脚のスネは白く粉を少しふきはじめた。

向こうから歩いてくる男性の半分は首をすぼめて紫煙を吐き出している。
駅までの一服、とても美味しかったのを憶えている。
家を持たない人々とならんでしゃがんでいる鳩は朝の暖かい太陽にあたっている。
このク◯寒い朝に走ってるわ....と思っているような表情の女性、気のせいか?

朝に走ると気持ちがいい、ただそれだけ。

ウォーキングもよくしている。
移動手段の電車をランニングシューズに。
昼メシは軽く...
土曜日は浅草へと13km歩いた。
晩飯は、もう鍋のようなあんかけ水餃子五目めんでまた汗かいて。
なんとかの一つ覚え。
痛風糖尿に気をつけて。

もう11月も終わる、はやい。

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2014 11/11
『メイドイン』

16歳の時に通販で買ったATB(自転車)は懐かしいカンチブレーキに18段ギア、ごっつゴツのタイヤなのでちょっと距離を走ると脚がパンパンになった...
そのチャリはなんと2年も保たなかったという恐ろしいしろもの、メイドインチャイナだった。
停止からウイリーをしたら、前輪が前にコロコロコローと勢いよく外れて飛んでいった。
前輪のシャフトとフォークを留めている超大事な部分、フォークにシャフトのネジと前輪がくっ付いたまま崩壊した....コレ、漕いで走っている状態からだったら、顔面からアスファルトに強打していただろう。 自転車乗りで、事故の経験がある人やまわりに事故ったひとがいればわかるけども、鎖骨骨折&顔面ぐしゃぐしゃに、脳挫傷、死へとつながる大変にあぶないことなんです。
ウイリーしたらポローンと前輪がとれて、両脚をふつうにつけたために、何ともなかったけども....これはたまたまということではない、守られたと思ったんです。
それからというもの、いい自転車に乗るという方へともいかずに、安心のホンダのトライアルバイクに脚が変わっていった。

僕はつけているアクセサリーはほぼ日本製。
朝ランや特に夜ランの時に、背後から女性を追い抜く時に、すごく警戒されるし、それはしょうがないことだけど、めちゃめちゃ驚かれることもたまにある。
そうですよね、ザッザッザッと暗い夜道、背後から男が走ってくるのだから。。
少し後ろから、音が鳴るベルを鳴りやすいようにしていると、僅かでも距離があるので、警戒されることもぐっと減るんです。装飾ということをフルに発揮。
ウェアはインドネシアや中国が多い。

飲んでいるサプリメントはアメリカ、カプセルがデカくてのどに引っ掛かる。
アメリカ人はノドもそんなに大きいのか??

日本製はよく保つものが多い、それは誇り。
ただ、部品の供給が途絶えなければ、規制がかからなければだけど。

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2014 11/10
『質素』

3袋入り生麺のラーメン。
そのままだと味気ないので、五目へ。
たまねぎ、にんじん、きゃべつ、もやし、半熟たまご、長ねぎにメンマ、下味つけて片栗粉をまぶした豚小間、そして結構合っておいしい厚揚げを多めに。
ありものだけなのでこんな具材だけど、一気に豪華に。
ニンニクとごま油ちょいで炒めて酒、水、しょうゆ、オイスターソース、顆粒鶏ガラ、塩コショウで適当に味付けて、片栗で餡にして。
できたラーメンにのっけて完成、大盛りで。
多少の手間はかかるけど、かなりおいしい。
スープはたっぷり残して一応ヘルスに。
ラーメンをいじりは楽しい。

1袋レンチン、おかかほうれん草とご飯にみそ汁だけでも結構まんぞくする、メンチ見えてるけど。

おいしいものは身体にわるい、おいしくないものは身体にいいと、そうよく言いますね。
バランスのよい食、そしてなるべく運動をと。
飲食業界のさまざまなリーダーたちの行動をみていると、ものすごく気をつけているのがわかります。

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2014 11/6 #2
『あまいけ 北町メンチ』

旧川越街道はかつて川越藩主が参勤交代で通った道。
江戸と川越をむすぶ重要な道。
距離が短いために大名の宿泊は稀で宿駅では休憩と人馬継ぎ立てのみが行われ、東武練馬駅ふきんが下練馬宿だったと。
現在の川越街道と旧川越街道は一部重複しているけども、大山で旧川越街道はハッピーロード大山商店街とその先の遊座大山商店街がそうで、山手通りをこえて、板橋消防署&板橋警察署ふきんの交差点で中山道につながる、その交差点が追分。
現在の川越街道は池袋の六又交差点が起点とのことで、すんごく離れてしまったわけだ。

中学生の頃、東武練馬駅は池袋へスケートしにいくのによく使った。
その当時は駅舎手前に狭小100円バーガーSHOPがあって、まぁよくエッグバーガーを食べて帰路についた。たしか150円だった気が....
そういえば、その当時よく買いに行ってた洋服屋の若い男子店員さんに、行くたびに“耳たぶ”をものすごくいじくり捲られていたっけな、可愛いねチミさぁみたいに。

そんな練馬区北町、旧川越街道沿いにある、肉のあまいけ。
北町メンチがオススメとの貼り紙を見つけて。
さすがの味、ふっくらしててすごく美味しかったけど、カロリーが気になるかな、写真ではよく伝わらないけど、かなり大きくてなんと¥100....安すぎ。
復路、さくさく揚げたてメンチカツを2つ持ってランニングできないので、レモンサワー買ってテクテク歩いて駅へ、鈍行電車に乗車。
20kmの予定が13kmに、それもよし。

かなり久しぶりに通った旧川越街道、あちこちにいいお店があって。
東武練馬駅ちかくにある激安中華屋さん、“中華たけいし”にも今度行ってみよう。
富士塚に庚申塔、ずっと昔の歴史を伝える見応えがある街道です。

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2014 11/6 #1
『クルーザー』

28年前くらい前80's後期のコンプリート2台と15年くらい前のコンプリート、そして25年くらい前のほぼ使ってなかった板ZORLACのTODD PRINCE(赤いヤツ)をピックアップ。
スパナ、メガネレンチ、モンキースパナ中と特大、ソケットレンチ(ミリとインチ)、ドライバー....工具や大工道具は男の必須アイテム、宝物。
これ絶対にもういらないだろうと他者は思うであろう様々な種類のボルトにナットは、いろいろいじる人にとってはいつか絶対に必要になるので大切にタッパーにしまっている。なので、家の何かでちょいと不具合でたり壊れたりしたものでも直せることが多いのだ。
バイク整備の工具を引っぱりだしメンテナンス....クルーザーとして組んでみた。
テールもばっちり残っていて、重いけどオーリー(ジャンプ)もまぁまぁとべる。
クルーザーとしてはなかなかいいんじゃないかな。
しかしどれもいいグラフィックですねー

ボード背負って4kmの復路、ハイボール飲みながら。
晩はジャークチキンを作ってみた。
辛めの味しっかりめで激うまかった。
チリペッパー、クミン、パプリカパウダー、こしょう、塩、多めのニンニクと油でしばらく漬けこんで。
白飯とみそ汁でもおいしいし、パンにはさんでもいい。
これはハマった。

【過去記事】
■構成要素
■オールドスクール
■オールドスクール #2
■生まれる
■あぶないランプ
■クルーザー
■メイク
■思いでの撤去
■オールドスクール #3
■あぶないランプその2
■中年スケーター
■JT -大切なひととき-
■スケートボード道
■スケート祓い
■28年前のクルーザー
■レールバー
■やっと乗れてきた、サポートタイツ効果
■IXLオイルとガッツレーを流用
■クルーズにもいいデッキ
■中年スケーターのブルース
■もう一度
■#14
■HILAQUE
■VANS 50 YEARS Kickflip
■MoMA
■OJ2 HOSOI ROCKETS 95A
■AND SKATEBOARDING
■Zorlac Todd Prince 高い??
■梅雨の晴間の真夏日 5週間ぶりに
■UNIqueでスケートボードのレクチャーを
■スケートをする意味
■我ら徳丸ヶ原のスケートチーム
■また出会って、共に生きましょう
■自分のためにスケートを
■オヤジスケーター
■この1年半のスケートボードの練習まとめ
■SEIBU SPORTS SKATEBOARDING TEAM
■家でスケートを MADE IN VENICE
■やすらかに
■スケートボードのホームグラウンド 前谷津川緑道(グリーンベルト<西台・高島平> 一時姿を現す消えた川
■GET RAD
■マドンナエア
■YouTube 作ってから1年半
■過ぎ去った夏 スケート仲間の親友の二周忌呑み会
■久しぶりのお墓参り
■第三回目
■TOKYO SKATEBOARD PICNIC CLUB
■東京オリンピック 新種目スケートボードと日本人のDNA
■池袋スケートパーク 試験運用

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2014 11/5
『ブラウンの地雷』

もうなんだかすっかり朝はぐっと寒くなり、グローブなしじゃ手先がキンキンに冷えしかたがない。

いつも走っている7−10kmのコースには野良のブラウン地雷があちこちに落ちている。
慈悲深い高齢者が彼らにエサをくれてやっているわけだ。
どうでもいいけども、この5年半、一度たりとも地雷を踏んづけていなかったのだけども....目が悪いから周りをよくみてて。

ある朝、玄関でしゃがんだ時にいやな香りが....ヒールにしっかりと。
気分も最悪だけど、踏んづけたのは中学、いや小学生以来だろうか。。
35年前の公園の砂場は動物たちのトイレと化していて、砂遊びをすると高確率で“ソレ”を触ってしまっていた。
その当時はお腹に“虫”を育てている子らがたくさんいたっけな。
虫下しのチョコをバクバク食べていたっけな。

・・・・しっかりと縁石と枝でぬぐって、洗い場で洗って....家でも洗って、ハッカ油を吹きかけて紫外線に。

18年くらい前に、飲食店の経営者と打合せを。
帰りの夜道ででっかいのを踏んづけてしまって、「あ”ぁ〜」と絶叫。
社長の相方さんが、「運がつきますからいいじゃないですか」と誘い笑い。
「だよなー」と、縁石と小枝で処置をしているのをみて....
それ以来の縁石と枝使い。

かわいい子、木陰でしてくれよ。
どうでもいい話。